2025年1月23日木曜日

豅リリョウ in JMoF 2025

開催前日

今回は開催前日の1月9日(木)に会場入りすることを決めていた。これは、私が担当する企画のひとつであるアニマルアート展示「MULTIFAUNA|多元動物相」の設営に携わるためだった。アニマルアート展示は2日目に実施する企画だが、1日目から3日目まで常設するアーティストラウンジと会場(椛)を折半するため、1日目の午前の段階でアニマルアート展示側もある程度設営を進める必要があった、というのが詳しいところである。要は、1日目の早朝に移動してすぐ設営に従事できる自信がなかった。

開催前日時点で、❶荷造り(①ユスタヴァ着ぐるみ、②企画を実施するための書籍類、③その他身の回り品)、❷荷物(①・②)の発送、❸ファンツーリズム企画「けもの旅あるき」のスクリーン投影の準備、❹アニマルアート展示の掲示物の準備、以上4つが宿題として残っていた。

コンブックは、昨年末に印刷入稿済み。ソーシャルメディアにおける開催当日およびその前後の投稿予約は、現SNS班リーダーのユータさんに引き継ぎが完了済み。そして今回、Philosofur編集部はディーラーズルームへの出展を見送って、新春けもケット11に出展することを決めていたため、例年に較べると気持ちにすこし余裕があった。

とはいえ、寝る前までファンツーリズム企画の発表スライドの手直しを行っていたため、❶・❷を移動直前に行うのは焦燥感があった。けっきょく昨年も一昨年もユスタヴァ着ぐるみをJMoFでしか召喚しなかったので、パッキングは実質ほぼ手探りという体たらく。運送業者に集荷依頼をかけたのは午後になってからだった。

15時ごろに荷物を見送ったのち、16時ごろに出発。❸は依然進捗なし、❹はドキュメントの用意だけ済ませた状態だった。いろいろ考えているうちに誤って通勤定期で駅の改札を通ってしまったので、とりあえずそのまま東京駅に向かった。東京駅に到着後、いったん改札の外に出て、新幹線のチケットを購入するとともに、夕食としてうどんをすすった。

新幹線に乗り込んだ私は、自分が乗り物酔いしやすく、すぐに寝てしまう体質であることを思い出しながら、宿題をこなす時間をみすみす手放した。次に気が付いたときには、もう豊橋は目の前だった。豊橋駅に到着後、会場であるロワジールホテル豊橋に向かうシャトルバスの最終便(20時20分)に乗り込んだ。

シャトルバスを降りて、ひとまずスタッフ控え室に向かった。JMoFスタッフ(JMoF実行委員会会員)自身の参加登録や宿泊予約は団体名義で行っているためである。ほとんどのJMoFスタッフは、実のところ会場に来て初めて参加証を手にすることになる。私にとって、初参加のJMoF 2014から数えて11回目(JMoF 2021はコロナ禍のため中止)となるJMoFが、こうして始まった。

いよいよ始まるJMoFの気配をスタッフ控え室で噛みしめていたとき、FurscienceのStephen Reysen博士と初めてお会いした。英語を喋る準備がまだできていなかったため、たどたどしい会話になってしまったが、訪日いただいたことにお礼したり、チャリティー・ラッフルへの提供品を受け取ったりした。

1日目

朝7時ごろに起床。身支度を済ませて、7時半~8時にフォーシーズンズで朝食を摂った。ちなみに今回の私の朝食は、葉っぱものを中心によそったサラダ、ベーコンまたはソーセージを2つ、デニッシュ(パン)を2種1つずつ、搾菜・蒸し鶏・葱をトッピングしてごま油でまとめたお粥、ヨーグルト(砂糖抜き)をかけたフルーツポンチ、飲み物は牛乳とハーブティーだった。



私が楓・椛に赴いたときには、アーティストラウンジおよびアニマルアート展示の会場設営(机・椅子の配置、レンタル品・備品の搬入など)はおおかた終わっていた。これまで、前日の段階から設営などを実施するのは、ホールテクニカルユニット(トラックを寄せてあまたの機材を搬入しては、会場設備へのインストール、配線・配電などを行うため時間がかかる)や(会場ホテルやその周辺施設などとの)渉外担当にもっぱら限られていたが、今回は企画班も前日設営を大々的に行っていた。

別部署の設営を手伝い、正午のスタッフミーティングに参加したあと、スタッフ控え室で昼食休憩。しばらくしてホールDステージの上手袖裏に移動し、開会式に久し振りに登壇した。JMoFでは前々回(JMoF 2023)前回(JMoF 2024)に姫川明輝先生による特別展を催したが、今回はその紹介枠をアニマルアート展示に譲っていただいていた。なお、私が前回、こうした式典に登壇したのは6年前のJMoF 2019に遡る。

ウェルカムラウンジやアーティストラウンジを回ったあと、開始が15分ほど遅れていたReysen博士による講演会「Furscience Talk」の出だしを見届けてから、2階の桐に向かった。ファンツーリズム企画「けもの旅あるき」は私が担当する企画のひとつで、①動物や動物にゆかりのあるモノ・コトを訪れる楽しみを共有できる、②創作をしていない人でも楽しめる、③壮年期以降の参加者でも楽しめることを主なコンセプトとしている。

事前にZuilangさんと銀蜥蜴さんにご登壇いただけないか打診し、お忙しい合間を縫って発表の内容をご準備いただいていた。企画の開始時点でセットアップが終わっていなかったため、お二方に作業進行をお任せし、はじめに私が発表を行った。「私が邂逅(であ)った龍たち」と題して、約20年前から現在にいたるまで、旅の先々で偶然出会った龍たちを、写真を見せながら紹介した。

私が発表を終えるころに上記の作業が終わり、銀蜥蜴さんの発表に移った。銀蜥蜴さんの発表は日本橋にある有翼の麒麟像から始まり、瀧尾神社の木彫りの龍の紹介では動画も交えられ、終始「龍愛」に満ち溢れた発表だった。龍・龍と続いて、Zuilangさんの発表では狼が取り上げられた。「ウルフ・ツーリズムの勧め」と題された発表の冒頭では、実は豊橋駅のペディストリアンデッキにも狼のモニュメントがある(民話・大西の馬頭観音に由来)ことを紹介し、一気に注目を集めた。

「けもの旅あるき」は予想以上の聴講者に恵まれ、盛況のうちに終了することができた。この場を借りて、改めてZuilangさんと銀蜥蜴さんに御礼を申し上げたい。



当初の予定ではここで夕食にするつもりだったが、アニマルアート展示のポスターのはり出し(1階エスカレーター付近に2ヶ所、2階椛の額縁に1ヶ所)などをやっているうちにGoHトークショーの時間になったため、そのままホールに赴いた。

JMoF 2025のゲストオブオナー(名誉ゲスト)として招待された山口勝平さん。往年の大声優・俳優がファンコンベンションの場をご訪問されるだけあって、ホールは立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。なにより屈託のない笑顔とトークが素敵だったし、端々にプロとしての経験の積み重ねを(素人なりに)体感した。

山口勝平さんを盛大な拍手で見送ったあと、ふたたび2階の桐に向かった。私が担当する企画のひとつである、ファーリーシンポジウムの設営のためである。ファーリーシンポジウムは、今回からJMoF実行委員会の代表を務めるまんぐさんと共同で企画した、いわゆるフード・アンド・ソート(思考の糧)系。「ファーリーという集団をどう『自己紹介』するか」と題して、日本の大学や学会で昨年実際に一般向けに発表した、いわばファーリーの「自己紹介」を、ここでは当事者に向けて再演した。

ファーリーファンダムの人口(構成員)は世界的に増加している。それに伴って一般社会との接点も否応なく増加し、私たちが彼らに「自己紹介」をしたり、あるいは逆に彼らが私たちに「自己紹介」させたりする機会も増加するだろう。ファンダムの多様性を担保しつつ、どのように社会的孤立を防ぎ、どのように社会的搾取を防ぐかが、私にとって関心事になっていた。

私は「動物と私たちとの関係性──いち〝ファーリー〟の視点から」という題目で、まんぐさんは「個人としての自己提示、集団としての自己提示──Furry/ケモノ・ファンダムをめぐるポリティクス」という題目で発表した。1時間を超える発表だったのにもかかわらず、ご聴講いただいた方々から多くのご質問をいただいた。質疑応答まで含めて、充実した1時間半にできたのではと感じている。改めて、誠心より感謝の意を申し上げたい。

撤収後、スタッフ控え室でアカギナオさん(ゲストオブオナーなどを担当)にお会いし、労いの言葉をかけながら、一緒にくいばに行って晩い夕食を済ませた。



2日目

朝5時半ごろに起床。身支度を済ませて、6時~7時にフォーシーズンズで早めに朝食を摂った。宇代藥さんが朝早くからアニマルアート展示の設営にいらっしゃる予定で、会場を早く開けるために朝支度を約1時間ほど早めた次第である。



アニマルアート展示は、今回私が担当する企画の中でもっとも注力した企画だった。ことりゆうさんと協働して立案・運営したこの企画は、姫川先生による個展を2度催した実績を踏まえつつ、より「アート」方面にも開かれたケモノコンベンションを形作るという目的を掲げたものである。

とはいえ、私は展示会の主催者・出展者になったことのない素人(いちおう、AnthroconのArt Showにエージェントを通じて出展したことはある)で、展示会に必要なモノはことりさんに助けを乞うところとなった。いっぽう私の方では、なぜこの企画がJMoFに必要なのか意味づけを行って、企画を実施するうえで必要な会場枠や予算などの承認をもらったり、内外向けの文書を作成したりした。

宇代さんとは、昨年12月に国分寺のcafe Slowで催されたグループ展「colony vol.9」でご挨拶していた。エネルギッシュな方で、開室予定時間からだいぶ余裕のある時間に設営が終わっていた。その後、前日設営を行ったにしさんに加え、ハツノニさんもご来場され、これから展示会が開かれるという空気を間近に体感した。



もう一つ体験したのは、開室できるタイミングが判らなくなる焦燥感だった。ロワジールホテル豊橋へのアクセスは、初めての方にはどうしても難しいところ(利用できる新幹線が限られていることや、初めての地でバスを探す難しさなど)があり、誰も責めるべきではない遅延だったが、焦りは本物であって、頭が真っ白になった。

しばらくしてツジ ユウコさん、前田陸さんも無事にご到着され、正午前に開室することができた。作家の皆さんが設営されるのを、私はただ見守ることしかできなかったのが恥ずかしかったが、そう振り返る暇もなく客入りが始まり、ほとんど途切れなかったことが想定外で、僥倖だった。

持ち込み企画「Furry Life -30代以降のケモぐらし-」を聴講するため、代役を買って出ていただいたおこめさん(言語支援班)に引き継ぎを行い、ながべ先生を講師に迎えて実施した「Procreate講座」の運営を終えて戻ってきたことりさんともバトンタッチして、椛(アニマルアート展示の会場)を後にした。

びわびわさんがコーディネーターを務めた「30代以降のケモぐらし」は、千葉いちばさん、鉄路野狐さん、虎之介さんが登壇し、既婚・未婚のアラウンド40あたりのシス男性の視点から、ライフステージの変化によってどんな影響があったのか、体験談を語っていた。

お昼休みにスイス・ドイツ圏の友人であるInoxさんとCatzeeさんに会い、MEGAドン・キホーテのフードコートへランチに赴いた。前回のJMoFで初めてお会いして、とくにInoxさんとはTelegramを通じて連絡を取り合っていた。本当は開催前日にBAR THE CROWNで晩酌を交わすことを考えていたが、前述のとおり間に合わなかったので、この機会は外せなかった。

お二方とは語学学習などの話題で会話を楽しんだ。Inoxさんからタイ旅行のお土産をいただいたのはサプライズだった。ランチ後は再び椛に戻り、会場の警備と作家のサポートに従事した。場内はときおり英語や中国語、スペイン語も飛び交う多国語スペースとなり、しばしば作家と作品購入希望者との間のコミュニケーションの言語支援に入った。

体力的な事由で一時離脱を挟んだが、半日弱ほど在廊した。アニマルアート展示は盛況のうちに閉室し、出展作品の約3分の1〜半数に買い手がついた。ファースーツ姿の来場者もしばしば舞い込んだが、こうした人獣が行き交う展示会を誰もが新鮮に感じていた。怒られることも覚悟していたが、出展作家の皆さんから撤収時にいただいた喜びの声は今でも忘れられない。

撤収作業を終えて自分の宿室に戻った私は、着ぐるみユスタヴァの召喚準備に入った。IMAGESTUDIO Noise(着ぐるみ撮影ブース)での撮影にあたり、今回も事前にファストパスを予約していた。1時間ほど余裕を持たせたつもりだったが、やはりいろいろと慣れておらず、予約時間のギリギリになってようやく召喚に成功して、足早にスタジオまで移動した。

撮影される際には考えてもいないことだが……私は、着ぐるみを着るだけだと「獣化」した実感をなかなか持てないタチである。鏡に映った自分や写真・映像に写った自分だけが、さまざまなナラティブから切り取られ、まさに「獣化」しているように感じる。

しばらく待ったのち、撮影補助スタッフからお声がかかった。姿見で「獣化」の具合を確認して、Noiseさんに挨拶をした。今回は3カットの機会をいただいたので、初回だけやんちゃをした。一日中稼働していてお疲れの中、変なオーダーを聞き入れてくださったNoiseさんには感謝しかない。

撮影後はすぐに自分の宿室に戻り、召喚を解除した。想定より時間がかかったので、着ぐるみユスタヴァのメンテナンスはそこそこに、身体を軽く洗って次の支度をした。アカギナオさんと一緒に、シリコーン製のドラゴンマズル(dragon maw)をちょい出しする予定を立てていたためである。人目を忍ぶために階段で20階ほど移動して、こっそりと合流。晴れてプライベートのツーショットを撮ることができた。

この日もアカギナオさんと夜食を食べに行き、会場近くのステーキガストで(ドラゴンマズルの分まで)肉を喰らった。



3日目

私が担当する企画のひとつ、「モノを売らないディーラーズルーム」は、本来は2日目の夜に設営する予定だった。私はその予定を失念し、Noiseさんを待たせてしまったことを恥じなければならない。とにかく、3日目の朝に設営する約束を交わした。

朝7時ごろに起床。身支度を済ませて、7時半~8時にフォーシーズンズで朝食を摂った。朝食後にすぐ上記の設営のため椛に向かい、ポスターの貼り出しやチラシ(開催前日にギンジさん(副代表)から託されていた)の配置を行った。Noiseさんも来訪され、NFCタグサンプルの貼付やチラシの配置をなさった。



「モノを売らないディーラーズルーム」は、JMoF公式ウェブサイトにも、企画タイムテーブル(Sched)にも掲載しなかった企画である。クリエイターとそのファンが活躍する場はすでにできつつあるが、両者の活動を支援するモノ=役務(サービス)のプロバイダー(提供者)が活躍する場もあるべきだと考え、立案した。今回は力及ばず2団体によるポスター掲示に留まったが、チャンスがあれば大々的に開催したいと画策している。



この日の午前中は、9時のスタッフミーティングに参加したあと、比較的ゆったりとした時間を過ごした。ディーラーズルームには、500円玉オンリーの財布も携行して臨むことができた(以前からやってみたかった、大いに役立った)。買い物のほか、ちょっとした挨拶回りもした(お忙しい中ご対応いただき誠に恐縮である)。



そうこうしているうちに、「どうぶつ本の部屋」の設営時間になった。参加者がお気に入りの「どうぶつ本」を持ち寄り、展示したり試し読みをしたり、あるいは楽しく会話をしたりするもので、私が担当する企画のひとつである。

実施にあたり、私も20冊弱ほど本を持ち込んだ。九井諒子先生の紹介として『竜のかわいい七つの子』、台湾まんがの紹介として林迺晴先生の『機甲盤古』を含めたが、それ以外はあえて美術書や学術書から選書した。また、すみたさん(企画班)にも本をお持ち込みいただいた。

会場ではSpaxeさんに初めてお会いした。Spaxeさんは昨年10月にオランダで開催された「世界初」のファーリーに関する学術大会「Furry Studies 2024」の主催者の一人。私はオンラインで聴講したが、その際にアジア・太平洋地域で研究・文筆活動をしているファーリーたちとうまく繫がることができ、Telegramで連絡を取り合えるようになっていた。

Spaxeさんはファーリーとインディーゲームについて学術的な関心があり、Furry Studies 2024でも発表している。私も(たまたま)『Philosofur 3』で、「EXPを導くキツネたち──インディーゲームから見る欧米のキツネ観」と題して執筆したこともあり、会話が弾んだ。ちなみにSpaxeさんは、これまでに参加したファーリーコンベンションのコンブックなどをお持ち込みいただいた(私もJMoFの過去のコンブック、ガイドブックを持ってくるべきだった)。

思いの外多くの参加者を迎えることができ、さまざまなどうぶつ本を眺めているあいだにあっという間に1時間の企画枠が終了してしまった。会場転換の都合ですぐにホテル従業員がいらっしゃったので、私はSpaxeさんに感謝の意をお伝えするとともに、大急ぎで撤収作業を行った。

荷物をいったんスタッフ控え室に一時保管したあと、豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)の動物研究員である伴和幸さんが登壇した講演「地味にすごいぞ!のんほいパーク~園内の取組や動物の特性を紹介します~」の前半部分を聴講することができた。ジャグチボウズギス(伴さんが命名)の紹介から始まり、同園の取り組みを分かりやすく解説いただいたことが印象に残っている。

しばらくして、スタッフ控え室でさとみさん(JMoF実行委員会前代表)と合流し、私が今回担当する最後の企画となる持ち込み企画Philosofur編集部トーク」の設営に向かった。さとみさんは育児などでお忙しい合間を縫って、3日目だけ豊橋に顔を覗かせにいらっしゃっていた。

パフォーマンスステージの裏企画という位置付けにも関わらず、松・竹に用意された椅子の半数以上が埋まった。一方の登壇者は、さとみさんメインで進めることと、話す話題は事前に決めてはいたものの、喋る準備などいっさいせずに臨んでいた。そんな状態からでも面白い話を引っ張ってこれるさとみさんは、もはや流石としか言いようがない。

「コロナ禍におけるコンベンション運営」のセクションは、2020年と2021年にJMoF、ひいてはさとみさんが直面したコンベンションクライシスとも呼ぶべき事態について、語るなら今しかないと思って提起した。いっぽうの「ファーリーとしてのアイデンティティーと生き方」のセクションは、『Philosofur 5』に収載した座談会企画のさとみさんバージョンに相当する。1時間半という企画枠をゆったりと使い、質疑応答も含めて満足度の高いトークにできたように思う。

デッドドッグパーティーは(申し訳ないが)私が忌み嫌っている企画だが、このときは気分がよく、自然と喧騒の中に入っていくことができた。福井酒造のJMoF謹製ラベル仕様の純米大吟醸と梅酒も1本ずつ購入できた。

デッドドッグパーティー後、楓さんにお誘いいただき、ルゥさん、ノイジさん、座敷狼さんと晩酌を交わす機会をいただいた。久し振りに黎明まで飲み食いしながら話し込んだ。内容がまったくJMoFと関係がなかったのもまたよかった(ただの大人として会話ができることは、私のような世迷い人にとって貴重である)。

なお、ノイジさんとは初対面だと思っていたが、帰宅後に名刺をファイリングしようとしたら、まったく同じ名刺がすでに挟まっていたので、そこでようやく無礼を恥じた。

開催後日

朝7時ごろに起床。身支度を済ませて、7時半~8時にフォーシーズンズで朝食を摂った。9時のスタッフミーティングに参加した後、宿室に戻ってパッキングを再開した。



ユスタヴァ着ぐるみをはじめ、パッキングには結局苦戦するところとなった。気が付いたときにはチェックアウトの期限(11時)が間近に迫っていた。意を決して、荷物をまとめ切ったこととし、宿室をあとにしてホテルフロントに赴き、11時ギリギリになってチェックアウトした。チェックアウト後は仮設の荷物集積所に立ち寄り、一部荷物の発送を依頼した。

帰路に着く準備ができたところで、ホールの撤収の様子を見に行った。この日はすでに午前中から別団体が別イベントの会場設営を進行しており、前日までの光景が夢幻のように感じられた。

撤収作業は順調に進んでいた。受付・販売班、企画班、ホールテクニカルユニットの3班は、大量の搬出入を行ったうえで現場仕事にあたる……という意味で、JMoFの開催・運営への寄与のありようが特徴的であって、広報担当の身からすると頭が上がらない(とはいえ、ConOpsを中核として、ホテル・渉外班やボランティア・警備班が担っている統率系統も等しく重要であるし、ひいてはここに書けなかった班すべてJMoF 2025の実現に欠くべからざるものだった)。

途中、会場ホテルのご担当者とご挨拶をする場面もありつつ、その場に留まっていたスタッフ(わくひろしさん(受付・販売班)など)としばらく歓談した。正午前、まんぐさんに声をかけて一緒に帰路に着くことにした。シャトルバスに乗り込んで豊橋駅に到着したら、コンコース(連絡通路)を抜けて豊橋駅ビル カルミアのレストランフロアに降り、BRUN TABLE COSTA RICAで昼食を摂ることにした。店前で席が空くのを待っていると、目の前にWrenさん(韓国)、Fangさん(台湾)、Naboriskさん(タイ)が通りかかったので、挨拶を交わした。

COSTA RICAでは、「パスタランチ」(前菜サラダとミニスープ、バターフィセル付き)と「大葉とトマトの豊橋マルゲリータ」をオーダーした。大葉やうずらの玉子など、豊橋産の食材をおいしく食べられた。

食事中の会話で、豊橋総合動植物公園に立ち寄ることにしたまんぐさんに、私もついていくことにした。ロッカーに荷物を預けて東海道本線に乗り込み、隣駅の二川駅に移動した。二川駅から同園の入り口までは10分ほど歩いた。動物園、植物園、自然史博物館、遊園地が併設されている同園、閉園まで3時間ほどのタイミングで入園したため、動物園と自然史博物館に絞って、足早に見て回ることにした。

中央門付近から動物園に入り、郷土の動物エリア、オーストラリアエリア、モンキーエリア、アフリカエリアと見ていった。最後に、昨年春に完成したサーバル舎も訪れた。自然史博物館に赴くと、新年にちなんだ蛇の展示から始まり、前述のジャグチボウズギスの展示や、生物の進化の歴史などを見て回った。

閉園時間の16時30分となり、同園を離れ豊橋駅に戻り、荷物を回収して新幹線に乗り込んだ。うつらうつらしているうちに、東京駅に到着した。

総括

今回のJMoF 2025では、私は意識的に仕事の量を増やした。理由は複数ある……まず、スタッフ全員が納得する形で代表の交代を実現する施策を考え、新時代のJMoF実行委員会を支える仕組みをワークさせる責務があった。また、JMoF 2024期に一時的にリーダーを退いていたときに、『Philosofur 4』で「ケモノコンベンションとは何か」について論じたが、そのときの気付きを実践しないと自分に納得できなかった。

最終的には、私は広報戦略分科会という枠組みで広報案件を采配しつつ、言語支援班や問い合わせ・CR班のプレイングマネージャーを担い、かつ、7つの新企画(プログレスレポートを含む)を立案して実行した。これらが直ちにケモノ文化の発展に寄与するものかは自信がないが、少しでも貢献できたなら幸いである。

2024年2月5日月曜日

豅リリョウ in JMoF 2024

お詫びと謝辞

第10回の開催となったJMoF 2023は、テーマ「Back to the JMoF」を体現するような体験を提供できたと信じているが、いっぽうで、私個人にとっては体力と精神力をほぼ使い果たすような大会となってしまった。

JMoF 2023期、私はJMoF実行委員会の広報班のリーダーとして、ウェブサイトの更新、その他の文書の編集/作成/校正/翻訳/翻訳チェック、お問い合わせの対応、ほかのファーリーコンベンションとの親交、ソーシャルメディアの更新、コンブックの編集、開催当日の広報案件対応、その他のリーダーとしての業務を担当していた。しかし、それらの業務が、私が正常に処理できる許容量をはるかに超えていたことは、誰から見ても明らかだった。

こうした取り組みを自発的に始めたのは2016年~2017年のあたりだったが、そのころの私は退職と再就職を2回繰り返していた。とくに1回目の退職は、精神的に追い込まれてからの退職だったので、再就職するまでに時間がかかった。いま思い返してみれば、その正とも負とも取れない行き場のない活力をJMoF実行委員会の業務に注ぎ込んでいたのかもしれない。そして、そのときに構築したシステムをうまくアップデートすることができなかったので、限界が来たのだと考えられる。

「システムをうまくアップデートすることができなかった」のは、私の責任感を私自身が飼い馴らすことに失敗したためでもある。「なぎゃさんがいなかったらいまのJMoFはなかったよ」とほかのスタッフから讃辞をいただいたとき、自分の仕事に誇りを持つと同時に、「豅の仕事は代替が効かない」という驕(おご)りを抱いていた。ほかのスタッフを疑うという邪念も湧くようになってしまい、自身の至らなさに体力的にも精神的にもすっかり憔悴した。

上記を白状したうえで、この場を借りてお詫びを申し上げたい。

JMoF 2023の開催後、私はほうぼうに相談した上で広報班リーダーを辞した。本業で大量退職と部署再編があって、ワークライフバランスを再調整するのに集中する必要があったこともあるが、たいせつな仲間をこれ以上疑いたくないという気持ちも大いに作用した。だからこそ、広報班リーダーの業務をそのまま引き継ぎをせず、5分割(言語支援班=まんぐさん、問い合わせ・広報渉外班=Mayさん、SNS班=ユータさん、コンブック⇒部署横断プロジェクトに位置づける、その他⇒JMoF実行委員会の総体に委ねる)したうえで、業務の取捨選択をするよう促した。

JMoF 2024は無事に開催された。総参加者数は1,949名、のんほいパークへの寄付総額は3,290,150円と、いずれも歴代最高値を記録した。言語支援、お問い合わせの対応、ほかのファーリーコンベンションとの親交、ソーシャルメディアの更新、コンブックの制作、その他もろもろ、すべてがよく機能していたと私は信じている。リーダーという役職を委嘱させていただいたまんぐさん、Mayさん、ユータさんをはじめ、これらに携わったすべてのスタッフや協力者によるすばらしい成果だと誠心より讃辞を送りたい。

そして、ワークライフバランスの再調整と自己研鑽に時間を充てるため、1年の空白をご容赦いただいたことについて、関係者に改めて深く陳謝を申し上げたい。

年末年始

うるさん、さとみさん、まんぐさん、ばけもさんと私の5名で編集・刊行している、ケモノ/ファーリー文化を論考する同人誌『Philosofur』。2023年9月、けもケット14にて(本誌)第4号を刊行し、号外(extraシリーズ)を含めて9冊を数えるところとなった。2017年1月、JMoF 2017ディーラーズルームにて、共同創立者である狐野俊さんによる序文を添えた創刊号を刊行して以来、6年以上にもわたるこの活動について、私たちの想像以上に評判を呼んでいるようで、嬉しく思うと同時に身の引き締まる思いである。

当誌をお手に取りいただき、《ドラゴン界とケモノ界を横断する雑誌(マガジン)》の創刊を構想していたAINさんより、論考やエッセイの寄稿のお誘いをいただいたのも、まさに僥倖だった。何回か打ち合わせたうえで、創刊号(0號)には私のOC(オリジナルキャラクター)であるユスタヴァについてエッセイを書くことになり、Kemocon14の企画「第2回ケモノ学会」での発表を終えたあとから本格的に執筆を開始した。

コミックマーケット103、ドラゴン創作同人誌を長年手掛けているサークル「Dragonizm」にて委託刊行された『龍と獣』。収載いただいたユスタヴァの立ち絵は、私が新規に描いたものが(畏れ多くも)使われた。肝心の記事は、はんもんのユスタヴァ、ロヒケールメのユスタヴァ、そして着ぐるみのユスタヴァ……それぞれに対する思い出を、豅視点で(わりと赤裸々に)語ったエッセイとなった。やや走り書きのようにはなってしまったものの、後半で「自分の中に複数の物語を持つこと」について言及することができたのが、好感触としてある。

龍と獣

寄稿文・寄稿絵の脱稿後、JMoF 2024ディーラーズルームに出展するPhilosofur編集部のために、これまでに刊行した同人誌や記事を英語で参照できる目録(カタログ)の制作に取り掛かった。テキストの翻訳・編集、レイアウトデータ(InDesign)の作成、印刷・製本をすべて私個人で行い、25部を用意した。表紙には、けもケット14のサークル参加の申し込みで使用するサークルカットのために私が制作した、カラカルとオオワシとシャチとヒトのキメラの絵を流用した。

なお、本カタログの制作は、個人的な動機としては非日本語話者に対するコミュニケーションツールとすることを目的としていたが、7(枚数)×2(両面印刷)×25(部数)=350刷分の紙代ならびにインク代、加えて7(枚数)×25(部数)=175折と2(綴針本数)×25(部数)=50回分の製本作業に鑑みて、いくばくかの売値を設定することにした。

上記の在庫の発送や、移動行程の確認は順序よくできたが、会場に出発する前の荷造りは、いま思い返せばもう少し早くできただろう。着ぐるみを含めた荷物の梱包方法を思い出すのに、かなり時間を掛けてしまった。まんぐさんのライブ放送を拝聴しながら、あれこれと悩んでいるうちに1月4日(金)になって数時間が過ぎてしまったので、「えいや」の心境で荷造りを終えてすぐに床に就いた。

1日目

朝4時ごろに起床し、身支度を済ませて6時には出発した。今回の往路は、数年振りに車での移動となった。ハイエースを借りた友人と待ち合って同乗し、高速道路をひたすら西走。車のハンドルを繰っていただいている恩誼に報いたく、同乗者の希望だった静岡県のローカルグルメチェーン、炭焼きレストランさわやかに逗留。定番のげんこつハンバーグをこれまた数年振りに賞味したのち、ハイエースに戻ってさらに西走した。会場のロワジールホテル豊橋には、昼13時を過ぎての到着となった。

ルームキー一式を受け取って宿泊室に荷物を運び込み、着ぐるみやその小物類をある程度荷解きしてから、スタッフ控え室(桃の間)に向かった。その場にいたスタッフに挨拶をしてしばらくすると、楓の間/椛の間の会場設営について応援の要請があり、さっそく向かった。椛の間は今回、姫川明輝先生による回顧展「姫川明輝 アニマルヒストリー展」の会場となっていた。有孔パネルを一通り組み立てたあと、しばらくして先生方がお見えになったのでZuilangさんとともにお伺いすると、展示の導線について相談を受けたので、丸テーブルを置いて鑑賞者の行動を限定することを提案したら、思いがけずそれが通った。ほか、有孔パネルの位置調整に一通り協力して、会釈をしてその場を去った。

開会式の様子はソーシャルメディアを通じて知った。つかれた犬さんとのコラボレーション、実は私もそのときに初めて知ったので、素で驚いた。例年、閉会式に比べて開会式の内容はどうしても地味になりがち(とはいえ、大会参加における注意事項やその他の連絡事項を伝える場である)だったので、このような新しい取り組みを企画/実行したスタッフにグッドボタンを押した次第である。

海外参加者による海外参加者のための講演企画「JMoF First-Timers Guide and International Meet!(JMoF初参加者向けガイド&国際交流会)」。会場の菊の間・藤の間に赴いてみると立ち見がいるほどの盛況振りで、尻込みした私はドアマンの振りをしてしばらく壁越しに聴講した(最終的には部屋の中に入ってお話を拝聴した)。

登壇者、Pineappleさんによる発表の内容は終始興味深く、面白かった。CoCo壱番屋やドン・キホーテなどは海外でもよく知られていることは把握していたが、「-196°C ストロングゼロ」からの「ウコンの力」紹介(称讃)はさすがに笑いを禁じ得なかった。JMoFの紹介というよりは、日本人が持つシャイな気質へのアプローチ方法や、日本に来たらDo/Goするべき物事の紹介の方がメインだった。

私には、この企画に参加する理由がもう一つあった。私はDuolingoで毎日数分だけでもドイツ語に触れる習慣(ただし、2023年現在、日本語話者向けのドイツ語コースは未開講なので、英語話者向けのドイツ語コースを受講している)を続けている。2023年11月末、ドイツ人ファーリー、InoxさんからTelegram経由でダイレクトメッセージを受け取り、私を「Duolingoで見つけた。現在、日本語を学習中である」とのこと。訊いてみれば、JMoF 2024に参加するとのことで、「現地で会いましょう」と返事を書いた。

ただ、この日はお声掛けする勇気を出せなかった。Inoxさんがここに来ていることを目視確認しただけで、会場を後にしてしまった。Inoxさんにはダイレクトメッセージで率直な気持ちを伝えたうえで、ローソンストア100に立ち寄って菓子パンなどを買って宿泊室に戻り、気持ちを落ち着かせてから就寝した。

2日目

朝6時ごろに起床。身支度を済ませて、7時~8時にフォーシーズンズで朝食を摂った。ちなみに、ロワジールホテル豊橋における私の朝食は、デニッシュ(パン)、ベーコンやソーセージ、玉子焼き、葉っぱもの中心のサラダ、フルーツポンチとヨーグルト(砂糖抜き)、牛乳とコーヒーでほぼ決めている(写真はそれぞれ2日目、3日目、撤収日の朝食)。


9時のスタッフ朝礼に参加したあと、すぐ宿泊室に戻った。着ぐるみ撮影ブース(IMAGESTUDIO Noise)の10時半ごろのファストパスを予約していた私は、40分ほど掛けて1年振りにユスタヴァ着ぐるみを着用した。JMoF 2023ディーラーズルームにて、四つ足カルテット(OSHIGEさん)で購入した恐竜柄のストールバンダナも、ぶっつけ本番で身に着けた。

私はあまりグリーティングに興味がない(申し訳ない)ので、足早に着ぐるみ撮影ブースに直行した。着ぐるみ撮影ブース担当のボランティアに参加証を見せようとしたら、その相手が和製パスタさんだったので驚いた(数年振りにお会いした)。今回はブースに姿見(鏡)が用意されており、着ぐるみの状態を確認するのに大いに役立った。フォトグラファーのNoiseさんにお声掛けいただき、撮影に臨んだ私は、1万円超したというECTO-1の模型を踏み潰さんとするアングル(豅指定)と、Noiseさんに一から百までお任せしたアングルの2セットを回していただいた。

撮影を終え、一目散に宿泊室に戻った私は着ぐるみを脱ぎ、ユスタヴァに感謝しながら軽くアフターケアを施した。軽くシャワーを浴びて汗を流したあと、菊の間・藤の間で実施されていたケモノストーリーミーティングに顔を出した。「ケモノ文学」を銘打って文芸同人誌を刊行している獣文連(けもぶんれん)が主催したこの会では、事前に投稿した作品についてかんたんな論評を行うレビュー企画、小説を執筆するためのノウハウを共有する講座企画、その場で応募されたアイデアをもとに即興で小説を認める(!?)企画が催され、熱の籠もったお話が展開されていた。

スタッフ控え室で待機していると、Inoxさんからランチのお誘いをいただき、幸運にも面と向かってお話をする機会を得た。同じくドイツ人ファーリーのKatzeeさんも同行して、ドン・キホーテのフードコートに赴いた。Inoxさんと私はフジヤマ55で、Katzeeさんはスパゲッ亭チャオJr.で注文。ゆっくりと昼食を摂りながら、英語(少しだけドイツ語)で談笑した。

  • Tabaluga(Peter Maffay)が通じた。『Das Nibelungenlied(ニーベルンゲンの歌)』の話もしてみたが、私についてだいぶ古臭い印象をお持ちになったかもしれない。
  • 大学でドイツ語を勉強し始めたとき、「I have a bird.」をドイツ語で言おうとして……というエピソードトークをしてみたら、ウケた(「Ich habe einen Vogel.」は「私は気狂いです」という意味)。

実際に話してみて、フレーズトークや文法はまだまだ滅茶苦茶だが、前回と比較すれば少し英語での表現力が上がっている実感を得た。ドイツ語については、やはり話すのはかなわなかったが、聞くのはそれなりにできた感触を得た。

スタッフ控え室に戻って(本来の昼食であった)弁当を食べていると、今回の宿泊同室者のうるさんから会場到着との連絡あり。合流してスペアのルームキーを渡し、宿泊室に荷物を運び入れた。その後、開室していた「姫川明輝 アニマルヒストリー展」を鑑賞した。

動物やケモノを主題とする姫川明輝作品について、アマチュア時代(1981年)から現在にいたるまでの軌跡を一望できた本展示。かつて「やわらかいもの」として隅に追いやられていた動物創作、プロデビュー後もなかなか思うように描けず、試行錯誤を繰り返しながら果敢にアプローチを続けていた。潮目が変わるのは90年代~ゼロ年代にかけてで、『ゼルダの伝説』シリーズのコミカライズにおけるオリジナルストーリーの展開や、コミックマーケットにおけるケモノ島の出現(ならびにケモノオンリーイベントの出現)など、先生自身の努力が結実するとともに、同人界(さらには出版業界)の環境も変化していった。機運を得て、よりアニマルアートに注力するようになった先生方の今後ますますのご活躍、『竜は黄昏の夢を見る』のパネルを購入して、少しばかりの応援を行った(この時点では予約のみ行い、翌日の閉室間際に先生直筆のサインをいただいたうえで購入、お引き取りした)。

ホリデイホールに移動し、GoH Talk Showに参加した。今回のゲストオブオナー(名誉ゲスト)は、村山竜大先生。先生の仕事紹介の段では、『Fate/Grand Order』、『天穂のサクナヒメ』、『聖剣伝説3』の(未公開を含む)デザイン設定画がスライドに表示された(事前に関係各社に許可取りをしたとのこと)。Further Confusionに参加経験があり、そこで着ぐるみも着たことがあるとのことで、『Dragonizm』に寄稿していたこと以外で動物創作同人に関わりを持っていることを知らなかった私は驚いた。

ここで、件のX(旧Twitter)での不審な投稿について対応することを迫られた。スタッフ控え室に駆け入り、情報を整理したうえでエスカレーションを行った。

「Trip Fur -PHANTOM-」の時間帯はConOpsのシフトに入った。18時~22時の4時間のシフトだったが、まだ体力が残っていたのでなんとかなった。ConOpsは、受付・販売班とボランティア・警備班の当日業務の負担を減らすべく導入された、コンベンションの総合窓口的存在。とはいえ、初導入にあって施策も手探りだったため、この役回りが次回以降ちゃんと機能していくようなフィードバックを要請されているように感じている。

深夜に招集がかかり、スタッフ控え室に集合。荷物検査の実施を受け、シフト表に自分の名前を入れてもらった。

3日目

朝6時ごろに起床。身支度を済ませて、7時~8時にうるさんと一緒にフォーシーズンズで朝食を摂った。9時のスタッフ朝礼に参加したあと、ディーラーズルームの設営に入った。

しばらくして、「(非公式に)Philosofur の感想を共有する会」に途中参加。匿名の感想フォーム(Googleフォーム)を介して、参加者が事前に~その場で『Philosofur』の感想を投稿し、司会のからくるとさんがその内容を読み上げてから、参加者を含めてさらにコメントを重ねていくような進行だった。同時に、会場では『Philosofur』の既刊(からくるとさん所有)が回覧されていた。

『Philosofur extra 5』で特集したファーソナについて、参加者の中でも「いる」方と「いない」方がいらっしゃり、ケモノに対する多様な態度が改めて共有されていた。『Philosofur 4』収載の拙稿で言及した「よいファーリー」については、ファンダムと一般社会とのあいだにどのような「距離感」を持つべきか、それぞれの意見が交わされた。そのほかにもさまざまな感想が寄せられ、編集の一人としてたいへん感慨深い時間だった。

また、光栄なことに、企画終了後に多くの方々と名刺・意見交換ができた。きぐるみ花月の月餅さん・ケイシさんのご両名、映画・アニメ研究のどんぐりさん、VR研究のあしやまさんより身に余るお言葉をいただき、『Philosofur』を通じたケモノ文化の発信により真摯に取り組まなければ……と、気持ちを新たにした。

正午より、荷物検査のシフトに入った。ディーラーズルームの入場やラッフル抽せん会の入場のピーク時はとくに休むいとまがなく、コロナ禍の残る中で開催されたJMoF 2022での入口対応が想起された。シフトは1時間だったが、人手が足りないと感じたので延長した。頃合いを見てシフトを外れ、「けもなーじゆうけんきゅう #3」に途中参加。

企画終了後、登壇者の柚子水さんとしそじろうさんとにご挨拶した。そうこうしているうちにディーラーズルームの閉室時間ギリギリになってしまったので、足早にホリデイホールに戻り、撤収作業を行ったあと、うるさんと二人でびっくりドンキーに赴き、晩い昼食を摂った。今回はディーラーズルームにほとんど顔を出すことがかなわず、買い物はおろかウィンドウショッピングすらできなかったことが悔やまれる。ほぼひとりでブースを切り盛りいただいたうるさんに、この場を借りてお礼を申し上げたい。

デッドドッグパーティーの時間帯はConOpsのシフトに入っていたが、どうしても喧騒が苦手な性分で、情報が多過ぎて疲れ果ててぼうっとしてしまった(福井酒造のお酒だけは買いに行けた)。参加者の皆さんにはたいへん失礼な姿をさらしてしまい、ほんとうに申し訳ない。

撤収日

朝6時半ごろに起床。身支度を済ませて、7時~8時にうるさんと一緒にフォーシーズンズで朝食を摂った。荷造りをほぼ済ませたうえで、9時のスタッフ朝礼に参加したあと、アーティストラウンジ(楓の間)と姫川先生の展示(椛の間)の撤収に協力した。

豊橋駅までうるさんの車に同乗させてもらえることになり、ぽちさんとガチマグロさんとも同乗してロワジールホテル豊橋を発つ。豊橋駅北口で下車し、うるさんとぽちさんに手を振った。ガチマグロさんと豊橋駅ビル カルミア地下1階の三河開化亭に入り、豊橋産の紫蘇をふんだんに使った餃子といっしょにラーメンを食した。

食後、豊橋駅の東海道新幹線改札に向かったところで、たまたまユータさんとお会いする。1年間、SNS班リーダーとして責務をまっとういただいたことを深々と感謝した。折を見て、ガチマグロさんと共に新幹線に乗り込み、うつらうつらしているうちに東京駅に帰ってきていた。

本年はドラゴン好きの血が騒ぐ辰年。稔り多き年となるよう、邁進してまいりたい。

2023年1月31日火曜日

豅リリョウ in JMoF 2023

年末年始

今回のJMoFは1月第1週からの開催のため、年末年始の休業期間に入る前にコンブックを印刷入稿する必要があった。感覚的には、例年より2週間ほど締め切りが早まったようなものである。ただでさえ年末案件で激務となる本業がある中で、ウェブサイトの更新作業、ソーシャルメディア告知の仕込み作業、アンケートの準備などをこなさなければならない時期に、コンブックの印刷入稿が重なった。おのおのの事情から広報班のマンパワーに欠員が発生していたこともあり、作業者レベルから管理者レベルまで筆者のフォローが必要な状態だった。優先度の高いものからとにかく少しずつ崩しつつ、コンブックの印刷入稿の締め切りだけは死守するよう全力を尽くした。

前回のJMoF 2022に引き続き、コンブックはDTPデザイン/オペレーションにいちばさんとレイテさんの2名、編集に霜雪さんと筆者の2名が入って進行した。A5サイズの中綴じ・日英別冊とはせず、JIS B5サイズの無線綴じ・日英同冊とする理由は、やはり印刷費の削減(20〜25万円ほど安くなる)にある。日英併記のレイアウトは版面率が高くなりやすく、可読性を高めるためにサイズアップしている。ただし、A4サイズは避けている。非日本語話者に対して情報アクセシビリティーを確保することは、筆者がJMoF実行委員会に入会して以来至上命令の一つとしているが、この水準で実現してくれた各人には頭が上がらない。

本業では、年始の価格改定の準備で12冊(21バージョン)のカタログを同時に制作進行していた。一方で、台湾の親戚が家族総出で日本を訪れに来てくれていて、年末のうち2日間は大所帯でディナーを嗜んだり、一足早いおせち料理に舌鼓を打ったりした。それ以外に休日といった休日はなく、公開が遅れていた企画紹介の編集になんとかギリギリ区切りをつけ、遅れに遅れていた公式写真の公開を最終チェックをした上で実施し、ソーシャルメディア告知の仕込み作業に追い込みをかけた。なおこの時点では、自身が応募した企画である「クローズアップ広報++」の準備にはまったく手が付けられなかった。

はつもうで

前回のJMoF 2022に、ユスタヴァ(ファースーツ)を連れて行くことができなかった反省から、上記のような多忙の中に荷造りをする時間をねじ込んだ。台湾の親戚からもらった大型トランクケースが優秀で、両足を別にしてすべてが一つに収まった。会場ホテルの回答(事前に問い合わせた)内容に従って事前に会場ホテルに発送した。

1日目

日付が変わった頃合いに、着ぐるみ撮影ブース運営サービス(SELFOTO)のファストパスを予約した。その後はひたすらソーシャルメディア告知の仕込み作業を続けたが、昼過ぎまでかかってようやく仕上がった。最終的に日・英合わせて約380件(最大79,800字、実際には70,000字ほどか)となった。「クローズアップ広報++」の準備は行きの新幹線でやることにして、荷物をまとめて出発。東京駅から新幹線に乗って豊橋駅に向かう道中、なんとか気を奮い立たせようとしたが、生粋の乗り物酔いしやすい体質には無力で、そのほとんどを寝て過ごした。無論、連日作業の疲労蓄積もあっただろう……。

豊橋駅に降り立った後、タイミングの良いことに、すぐに無料シャトルバスに乗車することができた。18時ごろにロワジールホテル豊橋に到着し、スタッフ控え室に赴いて各人に挨拶をした。仕込みをしたソーシャルメディア告知——Twitterの予約投稿状況を確認しつつ、会場内をざっくりと見て回った。途中、企画班からヘルプの要請があったので、機器の運搬とセットアップを手伝った。なお、プロジェクターの照射角度を調整する機構が底面に備え付けられることを知ったのは、2日目の自分の企画が終わった後だった。「Kemono 101: A Fureigner’s Guide」のリズムさんには、その件についてこの場でお詫びしたい。

なお、ホリデイホールロビーのホワイトボードには例年、会場ホテルからのお知らせが貼り出されていたのだが、今回は量が少なく(ホワイトボードのない別の場所に貼り出されているものも多く)、すでにJMoF受付に関する板書が為されていたこともあって、筆者は板書を行わなかった。好きでやっていた訳でもなければ、スタッフ業務としてやっていた訳でもない、やはり非日本語話者に対する情報アクセシビリティーの確保が目的で自主的にやっていた英語による板書だったが、参加者から「今回は書かないのか」と期待する声をいただいたことが感に入っている。

まんぐくんが申し込んでいた企画 「JMoFヒストリー(だったもの)」に参席。滋賀県彦根市のホテルサンルート彦根で初めて開催されたJMoF 2013からちょうど10年、(中止となったJMoF 2021を除いた上で)記念すべき第10回開催となったJMoF 2023で、このような歴史叙述の取り組みが実を結んだことはたいへん喜ばしい。参加者数の推移、実施企画の傾向比較、歴代ビジュアルの紹介——どんなに単純なことでも、歴史は書かなければ残らない。コロナ禍の最中、まんぐくんやZuilangさんが参与してアーカイブされた史料は、私たちがより自分らしく生きるために努めてきた証と言って過言ではないだろう。

私物が史料となる瞬間

自室に戻って荷物を整理した後、夜食を買いに近くのコンビニに行った。ようやく「クローズアップ広報++」の準備に取り掛かった。

2日目

「クローズアップ広報++」の準備は当然間に合わなかった。自分が思い描いていたものとギャップがありすぎて、既存の資料をまとめてプレゼンテーションの進行を段取ること以外にほとんど筆が動かなかった。身支度を済ませ、フォーシーズンズで朝食を摂り、9時にスタッフ朝礼に参加。「クローズアップ広報++」の実施時間が迫っていたため、解散後にすぐ松の間・竹の間に荷物を運んだ。

「クローズアップ広報++」は、筆者がJMoF 2018のときに実施した「クローズアップ広報+」のリバイバル企画。当時はデザインチームも開発チームも撮影チームも広報班に紐付けられていたが、JMoFの開催規模拡大に対応するためにそれぞれが独立した。その結果、現状(JMoF 2023時点)の広報班は言語サービス(編集、翻訳)、アテンディーサービス(問い合わせの総合対応)、ソーシャルメディア運用(Twitter、Facebook、Flickr)、コンブック制作を統括する部署となっている。広告を作る部署(advertising)とも言い切れない、情報戦略の主体(marketing)とも言い切れないこの部署の説明に、今回は90分間という時間を割いていただいた。

結果、時間配分に失敗して不完全燃焼で終わってしまった。言語サービスの重要性について説くことはできたが、実作業について踏み込んだ説明ができなかった。筆者はこの企画を一つの節目としようと考え、すべてを終えるつもりでいたが、こう尻切れ蜻蛉になると「リベンジしたい」と思ってしまうのが不思議だ。

荷物を畳んだ後、「フロートフォーラム」に足を運んだ。設営完了を知らせる告知が筆者のTwitterタイムラインに流れてきて、展示ホールの隅っこにPlushLife製のドラゴンぬいぐるみやオオカミぬいぐるみがあることを知ったので、ぜひとも拝見したいと思って行った。

もへっとしている

今回新設された椛の間(旧ル・マージュ)に設営された、特別企画の一つ「「獣神画展」姫川明輝」に赴き、水墨画の作品群を鑑賞。姫川明輝(本田安桂美)先生の個展に行くのはこれが2回目で、前回は2021年の京都・ちおん舎に遡るため、筆者にとっては新しく見る作品が多かった。大判の作品が増え、動物、とくに猛獣・猛禽のダイナミズムを表すにあたり狩野派の鳥獣画を紐解いている感覚があった。動物の捉え方は現代的(個人的に、屏風絵は斜めから見られることを想定して若干横広に描かれていたように思う)だが、筆致は上記のとおり過去を思わせ、不思議な魅力があった。

部屋に戻ったあと、これまでの疲労が祟ってひどい腓(こむら)返りを起こし、数時間ほど休もうに休めない休養を取った。ある程度落ち着いた後に跛行でスタッフ控え室に入ると、参加者から時宜好くインドメタシン配合冷湿布の差し入れがあり、ありがたく活用させてもらった。広報班翻訳チームのユウカさんを迎えに行って、思い切ってJMoFに来てくれたこと感謝した。

デザイン班と広報班翻訳チームに加入してくれたITSUKIさんと経歴や言語について談笑したあと、MEGAドン・キホーテ豊橋店のフードコートに行って夕食を共にした。あいにく現金の持ち合わせがなく、マクドナルドで電子決済できることを確認するまでに少し時間がかかったが、台湾スイーツの話などを交わして楽しく過ごした。途中、istさんが隣りのテーブルに来て、筆者が注文した特製つけ麺を横目に軽い夕食を摂っていた。

その後、「LGBTs TALK SHOW after dark」に参席。なるほど確かにafter darkな内容だったが、コミュニケーション下手な筆者に居場所はなかったように思う。

3日目

身支度を済ませ、フォーシーズンズで朝食を摂り、9時にスタッフ朝礼に参加。解散後に会場内をうろついていると、ある参加者に呼び止められた。

以前からケモノ趣味の活動に興味を持っていたものの、諸般の事情で今まで接点を作ってこなかったとのこと。JMoF 2023参加をきっかけに自身も活動をしていきたいと一念発起して来たが、やはり右も左も分からないので案内してくれないかとご要望。待ち合わせまで時間があることを確認して、これを快諾。これと言ってまだご自身の興味も定まっていないとのことで、それならば総合コンベンションならではのスケールを感じてもらえればと思い、「着ぐるみクリエイターコンテスト2023」にまずは足を運んだ。途中で観覧を切り上げ、先端技術の結晶であるVR世界を体験することのできる「VRラウンジ」に移動した。

筆者の案内が適切だったか自信はないが——VRラウンジで受付をしていたGentouさんや誰五味さんに後を任せて、自身はホリデイホールロビー付近に戻り、車で来たうるさんと駐車場で合流。当日参加登録を済ましてもらい、ディーラーリボンを渡す。荷物を持って「ディーラーズルーム」に設営に向かう。3年振りのディーラー参加、「Philosofur編集部」ブースの設営は30分以内に終わった。設営完了の告知をPhilosofur編集部のTwitterアカウントから発信した後しばらくして、ディーラーズルームが開室した。

Twitterの絵文字スタンプはやけに描写が細かい

今回のディーラーズルーム出展は確かな手応えがあった。予想を大幅に上回る来客だったのは、けもケットに較べて規模が小さく、出展物が多岐に亘ることも寄与しているように感じた。隣りのブースには小説サークルである獣文連が入っていたが、こちらも同等かそれ以上の人入りだった。海外からの参加者からも興味を示していただいたが、あまり平易ではない日本語の読み物から大意を汲み取るのはやはり難しいようだった。

近年、ケモノ同人誌の主流はコミックマーケットからけもケットに遷移したきらいがあるが、けもケットで読み物を出展するにあたり、ネームバリューや情報メディアへの露出などに期待を寄せなければならない孤独感が正直ある(その意味では、コミックマーケットにおける評論島の存続には価値があると言える)。JMoFのディーラーズルームではそうした孤独感はなく、売り子をしていてとても楽しかった。

うるさんが売り子に入っているあいだに、筆者も会場を見て回った。獣文連ブースでは岸間 夜行さんと挨拶を交わし、第1集を購入。壬生工房ブースでは壬生春成さんの備前焼の鏡に目が留まり、応援の意味を込めて狼の寝姿を描いた作品を購入(筆者はチキンだった)。四つ足カルテットブースでグッズを購入しようとしたところ、持ち金がほとんどないことに気が付き、SHIGEさんに頭を下げながら着ぐるみ用バンダナのみを購入した。財布を空にしたことをうるさんに伝えると、大阪ではこれを「螻蛄(おけら)になる」と言うと教えてもらった(※本義では「博打で負けて」というニュアンスが入るが、広く一般にも使うよう)。

夜、うるさんと筆者以外のPhilosofur編集部の部員3名——さとみさん、まんぐくん、ばけもさんを自室に集めた。会場運営の最前線で動いている3名には申し訳ないと思いつつ、うるさんが持ってきてくれたウサギ柄のウイスキーを先に開けて景気良く血流に回してしまった。結果として議論はできなかったが、編集部の結束を確認。『Philosofur 4』の刊行を10月初め(実際には9月末)目標とした。

4日目

目覚まし時計の助力を得て起床し、身支度を済ませ、同室のうるさんとフォーシーズンズで朝食を摂った。SELFOTOのファストパスをこの日の午前に入れていたため、9時のスタッフ朝礼に参加した後、広報班のリーダー業務の代行をサブリーダーのまんぐくんにお願いして、自室に戻った。

現行の着ぐるみユスタヴァは、JMoF 2014でデビューしてから9年が経つものの、換装の回数が少なく、室内で短時間の換装がほとんどだったこともあり、比較的状態は良好だった。ただ、酸化によるウレタンの経年劣化だけは避け難く、今回で3年ぶりの換装中にヘッドを破損してしまった。ただ、JMoF 2020の写真撮影では忘れていた上腕ベルト、脹脛ベルトの装着は忘れなかった。同室していたうるさんに換装の様子を見届けられつつ、参加証とネームタグを首から提げて部屋を後にした。

筆者が着ぐるみを着る目的は、着ぐるみを通じたコミュニケーション(グリーティング)ではなく、「鏡に映った自分の姿を見たい」から。一般客や参加者には申し訳ないが、脇目も振らずにホリデイホールCに向かった。運営ボランティアに自身が予約した時刻を伝えて、尾をもたげて椅子に座った。フォトグラファーのNoiseさんに呼び掛けられてスタジオに入り、いつものポージングをして撮影に臨んだ。いつも写真撮影のときに痛感させられながらも忘れてしまうのだが、「鏡にどう映るか」は入れ込まないと分からない。これが現状の目的とあまり合致しないのが悲しいかな。写真撮影が終わって部屋に引き上げる道中、こまこまさんに呼び止められて僥倖にも被写体にしていただいた。おそらくこれが今回のユスタヴァ換装の唯一の野良ショットであろう。

こまこまさん撮影

換装を解除し、ホリデイホールに戻って「GoH Talk Show」の聴講者に加わった。ほりもん(堀本達矢)先生が幼少期から抱いていたというケモノへの憧憬——それを真に具現化したはずだった作品で味わった「ケモノになれなかった」という挫折と、それに喝采を送ってカテゴライズしようとする観察者に対する不安を経験した結果、単色(白色)基調の「何者でもない」ケモノを具象化して、そこに観察者を配置する(=「会う」)アプローチを実践されたというお話は、筆者が高校時代に経験した挫折(人間中心主義的な世界観)と大学時代に実践したアプローチ(擬人化・擬獣化は人類普遍の営み)と重なる部分もあり、個人的に納得感があった。

たとえば『マウンティング』は、展示を観に来た観察者がケモノを「同意なく」撮影する暴力性や、この構図そのものを「一方的に」評価する暴力性を示唆しているという。これは、動物を畏怖したり慈愛したりするのはあくまで人間側に主導権があるという人間中心主義的な世界観に肉薄しているように思う。本質的には人間が好きなのかもしれない、これはエゴなのかもしれないと自覚しながらも、それでも動物ないしケモノが好きだと主張できる視座を持つことは、筆者にとって相変わらず至上命題の一つである。

しばらくして、「けもなーじゆうけんきゅう」に参席。JMoF 2022で初開催されたライトニングトーク(LT)会で、発表のハードルを下げるためにひじょうに限られた時間設定にしたり、発表内容には必要最低限の条件しか課さないようにしたりする工夫が為されていると聞いている。今回は登壇者が5名おり、フェイクファーの染色試験や「性癖」に関するアンケート調査報告など、ジャンルが一つも被らなかった。一部、国際法に抵触する結論はどうか……と思う瞬間もあったが、聴講者側もそういう雰囲気を了解して聴講していたことを願っている(それが真に大切なことである)。

部屋に戻ってしばらく休息し、自室からスタッフ控え室に移動しながらストリーミング配信で「パフォーマンスステージ「Back to the 90’s」」を途中から鑑賞。ステージ企画は生ものであり、スケジュールどおりにいかないことはままある。より実状に近いソーシャルメディア告知をするためには、その進行を注視する必要があった。続けて「ケモノストーリーコンテスト2023表彰式」、「Japan Furries Photo Competition 2023 Award Ceremony」、「JMoFイラストコンテスト2023表彰式」もライブ映像で視聴。「閉会式」の進行もリモートで見守り、勤続10年の第1期スタッフ4名(さとみさん、Zuilangさん、OTKさん、七輝さん)をねぎらうサプライズ企画を見届けた。

「デッドドッグパーティー」は筆者にとってnot for meな企画なので、割愛する。

5日目

身支度を済ませ、フォーシーズンズで朝食を摂り、9時にスタッフ朝礼に参加。撤収の様子を見に来てくれたガチマグロさんに昼食と帰路を共にしようと持ち掛け、快くご承諾いただいた。

スタッフ控え室(桃の間)、アーティストラウンジ(楓の間)、獣神画展(椛の間)の撤収を手伝ってから、11時ごろに無料シャトルバスに乗り込み、会場を後にした。豊橋駅に着いた後は豊橋駅ビル カルミアに向かい、ブランテーブル こすたりかで昼食を摂る。

手前のパスタと真ん中のピッツァには、豊橋特産のうずら玉子がトッピングされている

折を見て店を後にし、券売機で復路の乗車券と特急券とを買い、東海道新幹線に乗り込んだ。さすがにお互いに疲れが溜まっており、旅程のほとんどを寝て過ごした。夕方には東京駅に到着し、再会を願いながら解散した。

総括

初めて参加したJMoF 2014から、中学校を卒業できるほどの時間が経過した。筆者は2018年(JMoF 2019期)から、より正確にいえば2017年(JMoF 2018期)の秋ごろから広報班のリーダーを務めているが、無償の奉仕活動であるからこそ無限に頑張れてしまう性分のデメリットが、ここに来て顕在化しているように感じている。JMoFを陰で支えることに慣れ過ぎてしまって、本当はもう少し自分のことを大事にしてもよいのに、どうやればいいのか忘れている。

いえもんくんに襲われている図

そんな者にも分け隔てなく活力を与えてくれるのがファンコンベンションの空気だった。JMoF 2023は、筆者の悩みを消してくれたわけではないが、自分の一生をもっと豊かにしたいと再び決心するきっかけの一つとなってくれた。

実際には本業でも大きな変動があり、身の振りを考えざるを得ない時期に入っていることは自覚している。本年をぜひ稔り多き年にしていきたい。

2021年1月30日土曜日

マーレに捧ぐ

旧年の大晦日、我が家の飼い犬が友達を探しに旅立った。

数年前の元旦に腰を痛めて以来、齢というよりもむしろ老いを深めていった飼い犬。親は還暦を迎えながらも手間を惜しまず、飼い犬と最期まで向き合った。いっぽうの私は、留守のときに面倒を見たり、家にお金を入れたりするくらいで精いっぱいだった。

ある日私が学び舎から家に帰ってくると、リビングに見知らぬ仔犬がいた。雄のアメリカンコッカースパニエルだと紹介された私は、なんで何も言わずに買ってきたんだと子供のように激昂して、それから1週間ほど親と口を利かなかったことを憶えている。当時の私は、動物が好きなのではなく、擬人化動物が好きなのだと不意に気付いてしまい、ショックを受けていた頃だった。もともと偽物だったのかもしれないが、愛が破れたそのときに、仔犬がやってきた。

しばらくして私は、親の気持ちを少しずつ感じ取り、仔犬との距離を少しずつ近付けていった。幸いなことに、その仔は大人しい性格だった。餌のやり方、水の飲ませ方、首輪やリードの付け方を親から教わり、覚束ない手で犬の世話を試みようとする私を、その仔は何も吠えずに待っていてくれた。

いつしかその犬は、私のにおいも覚えてくれていた。この十数年間、散歩をしたり、写真を撮ったり、行事で祝ったりする時間を、飼い犬と家族いっしょに過ごしてきた。内心ではまだ、言葉にできない何かを抱えながらも、飼い犬は屈託のない態度で私にも接してくれた。そして飼い犬は、私の齢をあっと言う間に追い越していった。

旧年の大晦日、私は徹夜の追い込み作業を行っていた。明け方、か細い声が聞こえたような気がしたが、どうしても手が離せなかった。しばらくして、涙をたたえた母が部屋に入ってきた。私は急いでリビングに行った。まだ、ほんのわずか、温もりがあった。

虫がいい話かもしれないが、私には看取るチャンスが与えられていたと思うと、自分の薄情さに虫唾が走る。けっきょく、君の方が明らかに大人だった。

どうか安らかに。

2020年1月15日水曜日

豅リリョウ in JMoF 2020

総括

正直なところ不安感が勝っていたが、それを吹き飛ばすエネルギーを持った参加者と、ボランティアやスタッフの現場担当者による尽力で、JMoF 2020もまた私の記憶に残るコンベンションになった。

年末年始

年末年始の休みをコミックマーケット97のサークル活動(Philosofur)とJMoF 2020コンブックの原稿作成・版下チェックに捧げる。
新刊『Philosofur extra 5』は、構想・アンケート調査1ヶ月、原稿・版下作成2週間の極限のスケジュールで制作。12月26日(木)入稿。30日(月)に売り子としてブースを切り盛りする。

次は『Philosofur 3』を出すぞ!

コンブックを1月7日(火)未明に入稿、Web班にホテルからの依頼と電子版コンブックの掲載を依頼するため原稿を作成、8日(水)に入稿。
その日から、事前に他の広報スタッフに作業指示しておいた、開催当日のソーシャルメディア投稿の内容チェックに着手。

1日目

年始の仕事を捌きながら修正加筆・翻訳を行い、10日(金)の午前4時までに2日目までを完了。この間に電子版コンブックのミスが発覚するも、コンブック総括の千葉いちばさんとWeb総括のえかはすさんのファインプレイにより解消(お二方には頭が上がらない)。Noiseスタジオのファストパスを取得。1時間半で荷造り・シャワー・食事をして出発。新幹線で豊橋に向かい、12時前にはロワジールホテル豊橋に到着。13時にスタッフ号令に参加。


まだ投稿していなかった企画の告知依頼、開催当日のソーシャルメディア投稿(3日目、開催後)の内容チェック、その他追加の告知依頼をスタッフ控室でこなす。そのうちにトーク&スナック&カフェインと開会式が終了していたが、スタッフ控室に回収されてくる菓子類が例年より少なかった。より多くの菓子類がちゃんと参加者に回ったということなので、よいことである。
はたらくケモナー交流会に参加。前回より参加者数が増え、2グループになった。プロフィール(職業・職種・勤務先)と、現在悩んでいる問題について各人が語り合った。梨味さんが介護に関する本を書いていると聞いて、個人的にメモ。
コンベンションとはいわば同好会の一種であり、コミュニケーションが主体である(趣味を通じて知り合った同士は、より多様なつながりを求める)。人と人とのつながりあいには、時としてコンテンツを介在させなくてもよい。その際たる例として、ゲントウくんががんばっている恒例企画である。
Noiseさんと共にSEAfur Panelに参加。東南アジア圏のファーリーたち(Gaoさんなど)が、それぞれの国の地理、主要な観光地、食べ物、現地のファーリーコミュニティーについて紹介した。ミャンマー、ラオス、カンボジアについても言及していた。東南アジア圏のファーリーの連帯を感じさせるよいパネルだった。
獣語授業に参加。終始テンションが高く、円滑なコミュニケーションのためならフェチを語り合えと言わんばかりの構成はさすがキープさんだなと思った(授業には竜朗さん、ルーさんも登壇した)。この企画の本質は、その3名の人望を活かし、多くの海外ファーリーと国内ファーリーを同じ箱の中に囲い込み、相互のコミュニケーションを支援したところにあると感じた。
スタッフ控室に戻り、開催当日のソーシャルメディア投稿の内容チェックを進める。他班のスタッフといっしょにステーキガストで食事を摂る。自室で開催当日のソーシャルメディア投稿の内容チェックを完了して、26時に就寝。

いまだに頭髪・ゴーグル・翼がないものの、何だかんだ愛着がある。

2日目

6時起床。シャワーを済ませ朝食を摂り、9時のスタッフ朝礼に参加。
着ぐるみクリエイターコンテスト2020に途中から参加。レッドカーペットが敷かれたランウェイで、個性豊かなファースーツがその魅力を放っていた。出場者は壇に上がったり下がったりする必要があり、必然的に動きやすさも問われる会場設計となっていた(※もし私が着ぐるみクリエイターコンテストに参加するなら、スタジオ撮影にしか適さない着ぐるみを作りたいと考えており、勝手に頭を悩ませている)。


ホールロビーのホワイトボードに張り出されていたホテルからのお願いを翻訳し、訳文をすべてホワイトボードに手書きで記入(※これは事前に用意できない事情がある)。
着ぐるみクリエイターコンテストが押したため、次のGoH Talk Showの準備を補助。休む間もなく着ぐるみパレードの下見(12時~)に参加。昨年よりも通路が狭くなったドン・キホーテと、開店したZENTを実地で把握。
GoH Talk Showに参加。今回はゲストオブオナーのアンクル・カゲ(Uncle Kage)と通訳のサーシャさんの言語能力によってかろうじて企画の体が保たれた、危うい内容だった。聞き手のクリスケさんの持ち味である連想力が、あらかじめ用意はしていたものの想像以上にアンクル・カゲの「話すべきではない」壁が堅かったことと、聞き手側の通訳が(申し訳ないが)技量不足だったことが重なって、やりづらそうな印象だった。内容としては、アンスロコン(Anthrocon)が街ぐるみのコンベンションになっていることに対して、「それは私の功績ではない」・「ピッツバーグ市民がやったことだ」と発言したことがもっとも印象に残っている。
着ぐるみパレードの警備(誘導員)ボランティアとして、自分の持ち場に移動。ZENTの入り口前の細い通路が持ち場で、行進する着ぐるみを撮影しようと参加者が通路に列を作ると、他の一般客の通行を妨げることに気が付いたため、適宜着ぐるみにどちら側に寄ってもらうか話しかけたり、パレードを止めて一般客の通行を促したりした。

あぐちゃきた 襲われているのはまんぐくん(許可は取った)

自室に戻り、ユスタヴァ(着ぐるみ)を45分ほどかけて召喚。久し振りの召喚で、構造的に視界不良なユスタヴァの視界と身体マッピングで、壁やポールにぶつかりながらなんとかNoiseスタジオまでたどり着き、小物として用意していたドラゴンブースト(空き缶、洗浄済み)を使いながら数カット撮影。ヘッドレスルームで休息を取り、スタッフ控室に移動。アンクル・カゲと昔、アンスロコンがさんまのまんまの取材を受けたことについて話をして、アンクル・カゲが酒☆フェスに出向いたあともしばらく滞在。
自室に戻り、ユスタヴァの召喚を解除。ここで、自分が召喚の際にベルトや首輪の一切を忘れていたことに気が付く。ユスタヴァの身体をいたわって「boop」してから、スタッフ控室に戻る。
Uncle Kage's Story Hour in JMoF 2020に参加。始めは非英語話者に配慮して、ゆっくりと、はっきりと発話しながら、定番のネタ(ご両親の金婚式をユーロファレンス(Eurofurence)で祝った話、消防士の話など)を披露した。英語話者にとってはおそらくどこかで聞いた話だったかもしれないが、アンクル・カゲの緩急をつけた迫真の語り口に笑いが絶えなかった。終盤に差し掛かると元来のまくしたてる口調があらわれ、非英語圏の英語話者のために私が「raconteur」をより平易な「storyteller」に置換したことを少し恥じた。
Trip Fur GARDENにほんの少しだけ参加。前日のMAYHEMでは電気系統のトラブルがあって出力が抑えられたが、本日は本領を発揮し、心臓を撃ち震わせるほどの音響空間となっていた。

そらみくんかっこよかった

ホテルフロントで宿泊費を支払ってから自室に戻り、アンケートの作成に着手。Zuilangさんの汐崎での晩飯ツイートに触発されて、汐崎に移動。つばきさんとまずるさんにばったりお会いして、同じ席に入れてもらってバターラーメン(大盛り)を食べる。自室に戻り、アンケートの作成が間に合わないことを悟りながら、26時に就寝。

3日目

7時起床。朝食を摂ってシャワーを済ませ、9時のスタッフ朝礼に参加。アンケートの作成が間に合わないことをさとみさんに伝える。

いくらでもサラダとフルーツポンチが食べられる至福のひととき

クリスケさんといっしょにおしぼん!~お前の推し本を語り尽くせ~に参加。会全体の内容次第では紹介を控えることを考えていたが、主催のばけもさんのさまざまなジャンルを紹介したいとの意向により、論考ジャンルの本が私の本だけだったため、壇上に立つ。マット・カートミル著、内田亮子訳『人はなぜ殺すか――狩猟仮説と動物観の文明史』(1995)新曜社を紹介した。個人的には、『アーネストとセレスティーヌ』が原作とアニメでまったく違うことを知ったことが一番の収穫だった。
ディーラーズルームとアーティストラウンジを行き来して様子を見つつ、控室で他スタッフと会話を挟んでから、ケモノ・ドローイング・ワークショップに参加。前回同様、参席者の質問に答えるかたちで進行。『竜は黄昏の夢を見る』のキヤも登場し、動物変身もの(TF)に対する往年の想いを語りながら、姫川明輝先生の即興イラストレーションに見入っていた。
ディーラーズルームを再度訪問し、各ブースを渡り歩く。梨味さんの『同人介護の梨味さん』、ミライフラクトの1stシングル『三月/トワイライト・メモリー』、Ben-Benさんの『Beauties And Beasts』、稲尾さんの複製原画(朝顔)と型抜きカード(ウンピョウ)、姫川明輝先生の『ルウ・ガル』、月餅さんのTシャツ(寿司)などを購入。Ben-Benさんのブースには売り子(兼日本語通訳)としてKrhainosさんがいらっしゃり、1年ぶりの再会に少し言葉を交わした。余談だが、Krhainosさんの作っているステッカーに、私がJMoF 2019のアーティストラウンジで描いたKrhainosさん(だと思う、手元に資料がなく記憶もおぼろげ(2回描いたことは確か)で自信がない)があったのだが、それがアンクル・カゲの白衣についていたのを見て、ちょっと驚いた。

アーティストラウンジに移動して、VRラウンジに足を踏み入れる。おしぼん!と同様にエポックメイキングな企画だと勝手に思っていて、今回はふしぎの国のエナジー~Energy in Wonderland~より優先した。本格的なVR環境、VR JMoFにはリアルJMoF会場を映すライブストリーミングが、リアルJMoF会場にはVR JMoFを映すライブストリーミングが用意されており、参加・非参加、国内・海外、そしてリアル・VRの境を越えての交流が行われていた。私もVR体験に参加し、ちまっこい犬のアバターを選んでVR JMoFの地に足を踏み入れたが、(生)温かいVRChat民に手取り足取りいざなわれ、犬になった自分をまじまじと見つめたり、VRの環境構築や市場について解説を受けたりした。すさまじい企画だったが、ゲントウくんをはじめ、現場スタッフがVRラウンジにつきっきりだったことが気の毒に思っている(同じことはステージ班スタッフにも言える)。

めっちゃかっこいい

自室に戻り、痔を再発。
閉会式に遅刻し、他班のリーダーが全員登壇している中、舞台袖で閉会式に参加。JMoF 2021が4日間開催であることが告知されると、ホリデイホールDもホールロビーもわっと歓声が沸いた。舞台袖のスタッフは有給休暇をどうしよう……と物思いにふけっていた。
デッドドッグパーティーの前、アーティストラウンジ控室に荷物が残っていたため、ステージ機材の撤収を手伝っていたかみゅさんを連れて荷物を回収。ステージ機材の撤収先について伝達ミスがあることに気付き、ステージ担当者のころねんさんと機材総括の疑惑さん、ホテル担当者のZuilangさん、列整備総括のD.R.Cさんに伝達。列整備と機材の移動を両立できるよう連携してもらい、無事に完了。私の担当は広報だが、時としてこのような行動をする場合もあるということで、ここに書き置く。
デッドドッグパーティーは、私にとってどうしても過酷な時間なので、たくさんケーキを食べた。途中、アンクル・カゲがJMoF会場を後にする際、見送りに外まで同行した。握手を交わしていただいた。
デッドドッグパーティー後、スタッフ控室とホールロビーのホワイトボードを清掃して、自室に戻る。軽く荷物整理をして、最後までアンケートの作成に手を付けようか迷いながら、一思いに25時就寝。

4日目

7時起床。朝食を摂ってシャワーを済ませ、9時のスタッフ朝礼に参加。アンケートの作成が間に合わないことをスタッフ全員に伝える(陳謝した)。自室に戻り、荷造りをして戻ってくると、搬出作業はすでにほぼ運搬車待ちの状態になっていた。11時ごろにシャトルバスに乗り込んで豊橋駅に向かい、開明軒で黒毛和牛のデミグラスオムライスを食す。13時ごろに新幹線に乗り、帰路に就く。


このエントリーを書いて今にいたる。25時就寝予定。

謝辞

JMoF 2020をもって、私はJMoF実行委員会の広報スタッフ歴が6年以上(2014年~現在)となり、よって小学校を卒業できるほどの時間が経過した。前々リーダーのハムさん、前リーダーのじそさん、そして前代表であり私を引き入れてくださったクリスケさんには、本当にお世話になった。また、ここには書き切れないくらい、多くのスタッフやボランティア、参加者にお支えいただき、くじけそうになった心を奮い立たせてくれたことに感謝したい。今回は節目として記録に残すべきと考え、久し振りにブログを更新する。