2013年8月25日日曜日

近況

社会人一年目、駆け出しは誰しもが忙しくて当然です。イラストを描く余裕もなければ、『学問竜』を更新する余裕もなく、四ヶ月が経過しました。ただ、段々とわかってきたことは、時間の使い方がまだヘタクソだ、ということです。休日まですべてを分刻みでスケジュール管理するのが大人、という意味ではありませんが、仕事にエネルギーを割き過ぎてしまっている現状、徐々に改善していきたい次第です。

仕事の方はといいますと、5月中旬に正社員登用が決まり、現在は業務環境の整備と業務内容に関する勉強を継続しております。9月からは派遣が決定し、なかなか落ち着かない日々を過ごしております。オフでは一ヶ月に一度の頻度で主にアマチュア着ぐるみ屋の元へ行っていたほか、ビジネス交流会や飲み会などで社会人としてのつながりも徐々に延ばしていっているところです。

さて、現在2つのプロジェクトが進行中です。

■Google+の日本版Furryコミュニティ『ふぁじゃぱ』の運営
wassrのサービス終了後、主にSecondLife系のケモノ好きはGoogle+に流れました。ボクは当時、Google+をほとんど利用しておりませんでしたが、Google+にコミュニティ機能が追加されたとき真っ先に「Google+にケモノコミュニティを創設したい」と考えました。コミュニティを作ることで交流の機会を増やし、色んな情報をやり取りしたい!……そうした個人の感情も、『ふぁじゃぱ』設立に寄与しているということは否定できません。
お蔭様で『ふぁじゃぱ』は現在約50名のメンバーを獲得し、そのうち約9分の1のメンバーが中核として適宜情報交信をする場となっております。たいへん喜ばしいことですが、まだまだ人員が少ないため、コミュニティを動かそうとするとどうしても連続投稿になってしまう足枷がついているようにも思います。約100名ほどメンバーが集結したとすれば、だいぶインタラクティブなコミュニティになるのではと予想しています。
当初の予想通り、グラフィカルな投稿が目下のところ目立っております。小説書きはなかなか投稿しづらくお思いになられているかもしれません。タグ分けはしたものの、投稿のしやすさや話題共有のしやすさは、ファンダメンタルな部分での変質が求められていると思います。難しいところです……。

ふぁじゃぱ
https://plus.google.com/u/0/communities/115316314959467935345

■ケモノ着ぐるみ版「ユスタヴァ」の制作
4月から、牛歩ではありますがボクのオリジナルキャラクターであるユスタヴァの着ぐるみの制作を続けております。まだどの部位も完成しておりませんが……orz























着ぐるみを、子供だましな見た目からチープなものだと考える人もいるかもしれません。しかしながら、一般のマスコット系の着ぐるみの相場は約20万~30万円です。高価な素材を基本的に節約して作るアマチュアのケモノ着ぐるみ(ファースーツ)の場合、コミッションですと約15万~25万円、自作の場合は数万~約10万円といったところでしょうか。
お金だけではありません。制作にかかる時間もバカにならず、不器用なボクは既に作り始めて四ヶ月が経過しておりますが、まだ光明は見えてきておりません。こう振り返ると、大人の趣味だなあとつくづく痛感させられます。

最後にまた仕事の話を一つ。学徒であったボクにとって、社会にはかなりの未知の部分が残ってしまっていました。隔離された学問の楽園に甘え過ぎた、というのが正しいでしょうか。もともとの性格もあいまって、ひいこらひいこら呻きながら社会勉強をしています。
インターネットで同じ趣味を持つ人々に出会うようになったのは、大学二年生の頃でした。その頃のボクは将来についてほとんど考えておらず、自虐心からか自分の未来を呪っているかのような発言を繰り返していたと記憶しております。ですが、色々な方々と……学府の枠に囚われず、様々な年代や思想、そして生き様に触れていくうちに、ボク自身のいわば「生活力」のなさを痛感させられたのであります。
この社会で生きていくための知識や経験を、学生のうちに十分に獲得できなかったと気付いた自分は、身を置く環境を変えることで、どうにかみんなに追いつこうと考えるようになりました。そうして得たこの一般企業に就職するというこの機会、ボクは大事にしなければなりません。

やろうと思ったことはやる、そんな人材にまずはなりたいです。

2013年4月7日日曜日

Zum Gesellschaftsdrachen

去る三月、遂にボクも大学から巣立ちました。浪人生活を含めこの五年間、ボクの気持ちの持ち方や、物事の考え方、そして人生の捉え方は、たいへん目まぐるしく変化したように振り返ります。学苑という、ある程度閉じられた、モラトリアムの延長線上に安住していたのは否めないですが、それでも、思い返せばその当時にはまったく頭に及ばなかったようなことごとに、本当によく触れて、学んでこれたのかなとしみじみ思います。

ボクの大学生活はおそらく、このご時世としてはあまり一般的なものではなかったのではと考えています。受験生時代、日本に「英語帝国主義」の旋風が吹き荒れ、企業はもとより、学生の意識の中すらも、「第二外国語」以降の言語学習についての関心が薄れ、各地の大学からそうした選択肢がかなり取り去られていました。また、ボクの興味の本質である「言語」について学ぼうと思っても、「コミュニケーション重視」の世の中はどこも「語学重視」を提示して、もともと試験勉強が苦手なこともあり、自分にマッチする大学群のほとんどがもはやトップ校で埋め尽くされようとしていました。そんな中で、母校となった大学を見付けられたことは、ささやかな幸運でした。

ただ、マッチしていたとはいえ、その大学も蓋を開けてみればコミュニケーション重視の息がかかっており、在学中にもたとえば言語学の規模縮小や、独語・仏語等を鑑みない英語教育プログラムの優先的増進など、何かと不満を覚えることの耐えない四年間でした。それでも、これは逆に、自分が「興味がない」といって避けてきたものを獲得するチャンスだと自分を奮い立たせ、そうしたトレーニング・プログラムもできる範囲で積極的に参加しました。どんなに頑張ったとしても、とどのつまり、意思疎通のとれない言語は死んでいるというほかありませんからね。その重要性を認知し、取り組んだというわけであります。

また、大学側の指示を何度もスルーしたことも、ボクをアウトサイダーたらしめる原因となったことと存じます(苦笑) 二回生のとき、勝手に英語クラスに割り当てられていたことを学生課に問い質したことがありますが、それはボクの通知見落としが原因であったので、担当の教授にアポを取り、聴講生 (単位としては認められない) としてフランス語の講義を受けました。また、三回生後期、ほとんどの人が卒業論文準備ゼミに参加していたところ、ボクは悠々と就職活動もせずに過ごしており、四回生の直前になって卒業論文指導教授探しを始め、いろんな教授・准教授と話をしたことは記憶に新しいです。

手掛けた卒業論文も所属学部学科としては破天荒なものでした。欧州について学問する学科に所属していながら、研究領域はほぼ英米で、しかもサブカルチャー論。そんな論文が書けるのも、日本の学部生卒業論文が、単なる通過儀礼にすぎないものが多く、どこにも発表されないままにプライバシーの観点から数年後に破棄されるような、継承されないいわば「学部生の好奇心のゴミ箱」となっているからこそ、逆に社会的地位や期待にしばられた有識者や学者の触れられない領域にチャレンジできるからです。そんな論文を指導してくださったボクの指導教授には、感謝の念が耐えません。

さて、大学院に進学する意向はなかったため、卒業論文を提出してから就職活動をはじめました。この点も時代に抗っている感がありますね……ただこれも運良く、なんと二週間で決着がつきました。大学卒としては、世間一般の待遇とそぐわないかもしれませんが、それでも得るものは多いし、大きいと考え、今期よりある会社で働いております。

というわけで、学問竜 (Wissenschaftsdrache) は、社会竜 (Gesellschaftsdrache) になりました。これに伴い、サイト名を変更……は、致しません(笑) 今後もどうぞ、学問竜ならびに豅リリョウを、宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

◇ ◆ ◇

動画紹介コーナー、今回はペーター・マッファイの『大人になんかなりたくなかった』


Irgendwo tief in mir bin ich ein Kind geblieben.
心のどこか深くで、ボクは子供のままでいる
Erst dann, wenn ich es nicht mehr spüren kann,
それを見失ってしまった、その時になってやっと
weiß ich es ist für mich zu spät,
「遅すぎた」って自分でわかる
zu spät, zu spät.
「遅すぎた」、気付くのが「遅すぎた」って

過去は過去、未来は未来。でも、価値のないものはそうにありません。過ぎ去ってしまった過去、大事なこと、子供のころのことは、忘れないように生きていきたいです。

2013年2月17日日曜日

白き茨のクローリクと黒き力のショコラートル

学部生論文は大抵の場合、それが提出された大学のデータベースと、執筆した本人のデータベースにのみ保存され、やがては消えていく運命にあると言っても過言ではないと思います。「大学全入時代」と謳われる現代、学府によっては論文を書く機会も得られぬままに学生生活を終えるということもままあります。日本の大学は、学生に対して知的創出を求めることをもしかしたら一部で放棄してしまったのかもしれません。ただ、それは逆にチャンスでもあるかもしれません。そもそも、学部生論文に注がれる社会的視線がほとんどないのなら、学部生は学者や知識人のように社会的地位や経済的波及効果などといった「しがらみ」を考慮に入れず、大胆で斬新な切り口で論文を書いてもいいのです。学者や知識人には扱いにくい領域であっても、大学で培った確かな観察眼と、情報を集約・精練して正しい論理構成を組み立てれば、論じることができる……そういうことはある意味、学部生の強みと言えるのではないでしょうか。

指導教授との相談の中でこう諭されたボクは、もしかしたら幸せ者だったのかもしれません。それまで大学では全く触れてこなかった「擬人化動物文化」をトピックに挙げ、最終的には「ファーリー・ファンダム (furry fandom) 」に到る経緯までも論文に認めてしまうという、冒険をしました。そう、危険を孕んだ冒険であって、自分にとってこれは「楽しい」などといった簡易な言葉で言い表せるものではなかった、そう、振り返ります。

そんなこんなで、指導教授の推薦を受け、学内の発表会の論壇に立つことになった1のですが、なにぶんこの分野は一般の方々にはなかなか見えづらいものですし、そもそもこの発表会が「これから論文を (強制的に) 書かなければならない」人たちのためでもありましたから、つまらないプレゼンテーションにはしたくありませんでした。そこで、思い切って……

突如学府に召喚され、慌ててしまったのか帽子を忘れてしまったうさぎさん (豅リリョウ撮影、2013年1月31日)
たまたまお暇と仰っていたうさぎさん (by manglucaさん) を召喚することにしました。女性の多い学部でしたから、はてまたは学府に着ぐるみという奇抜さからか、個人的な感触としては「ウケは上々」でした。アマチュアで、着ぐるみを制作してパフォーマンスをするグループがある、ということ自体初耳の方が多かったので、「本当に個人で作ったものなのですか? すごい! かわいい!」という感想が寄せられたことはうさぎさんにとってもきっと喜ばしいこと……だったことと思します。

ちなみに、現段階では執筆した論文の公開予定はありませんが、日本のそうしたイベントでパネル展示等が行われるのであれば、発表して反応を見てみたいと考えています。「どうして人間は、動物を擬人化することができたのか?」を、約200年間の創作文化を辿ってルーツを探ってみたという内容になっております。

 ◇ ◆ ◇

発表会を終えて数日後、オフモードになったボクは小学校来の親友二人と「チョコレート展」へ赴きました。場所は上野の国立科学博物館、棟は違いますがちょうど改築の終わった後の展示会でしたね。

フライヤーと入場チケット。チケットの遊び心が面白い。 (豅リリョウ撮影、2013年2月7日)
個人的には、チョコレートの甘ーい歴史だけでなく、苦ーい歴史ももっと深く掘り下げてほしかった念があります。チョコレートもいわゆる「ブラック・パワー」、列強各国による搾取の歴史を持っています。どのように植民地化政策を進めていき、どんな現象を起こしてしまったのか? そういった苦い歴史がぼかされ、文字通り「甘い」チョコレートの魅力についての紹介に終始していた印象が強いです。ただ、友人曰く「ここまで本格的とは思わなかった」との評で、それはボクも同感です。特に、チョコレート系企業とのタイアップで設けられた日本におけるチョコレート菓子の歴史コーナーは、自分たちにも馴染みのあるようなもののバックグラウンドを垣間見ることができ、仲間内での会話が特に弾みました。ですから、「甘い」と一蹴するのではなく、好い意味で「楽しい」特別展示会となっていたと思います。

さて、上野の会場を出て、三人は山手線沿いを徒歩で秋葉原方面へと向かいました。なんでも、高架橋下にアートスペースがあるのだとか。その情報を信じて、ぶらりと歩いていると……

高架橋下なのにこの明るさ。2k540 AKI-OKA ARTISAN (豅リリョウ撮影、同上)
確かにありました! 「2k540 AKI-OKA ARTISAN (ニーケーゴーヨンマル アキオカ アルチザン) 」と名付けられたこのアーティストアレイは、「ものづくり」をテーマにしたアトリエショップの集合体です。時間も時間だったので店には立ち寄らずウインドウショッピングをしておりましたが、こうした雰囲気は嫌いではないです。

その後、秋葉原駅前で少しのんびりと一服をしてから各々は帰路につきました。

1 ボクの大学では、すべての学部生論文が発表されるのではなく、各ゼミナールの指導教授がそれぞれ一人ずつ自分のゼミナールから推薦する形で発表会を構成します。

◇ ◆ ◇

最後は、動画コーナーでございます。


Furry Gangnam Style! from EZwolf on Vimeo.

アマチュア着ぐるみ映画『ビター・レイク (Bitter Lake) 』製作に関わったオランダのイーズィーウルフ (EZWolf) さんの動画です。

2013年1月16日水曜日

年末年始は北へ西へ

謹んで新年のお慶びを申し上げます。2013年・巳年もどうぞよしなに。さて、豅はこの年末年始、「青春18きっぷ」を使用しまして、北は宮城県・西は大阪府へ行って参りました。主な目的としてはその地元の友人との交流ではありましたが、特に大阪へは延べ片道11時間にも及ぶ鈍行列車での移動、車窓を流れていく各地の風景を眺めずにはいられません。

1) 群馬県訪問

まずは群馬県へと赴きました――が、ここで個人的に小さな驚き。「青春18きっぷ」は、1枚11,500円でJRのみどりの窓口で購入できる期間限定の切符で、利用可能な期間中に1回分を消費すると、全てのJR線の鈍行列車 (実際には乗れる路線・列車はもっと細かく指定されています。ご使用の際にはよくご自分でお確かめになってください。) に1日中乗り降りできます。これが1枚につき5回分がついていますから、1回につき2,300円となるのです――が、予想に反して片道2,300円未満で収まってしまうことに気付き、1回だけ使用することにして、往路は (これまでにほとんど乗ったことのない) 東武鉄道を利用しました。接続の見当を違えて、寒風吹き込むプラットフォーム上で数十分も待ってしまいました(苦笑)

余談ですが、このとき初めて脱水症状なるものに見舞われました。ボクが罹ったのは重度に近いもので、胃の中にあるものを全て戻し、腸の中にあるものを全て出し、それでもまだ悪寒が続くという悪夢に近いものでありました。幸い、冷静に対処をしてくださった友人のお蔭で若干復調し、その後自宅にて数日間安静にしておりました。ありがたや。

2) 宮城県訪問

お次は宮城県の仙台です。東北地方への自発的な長距離移動はこれで三度目になりますが、一度目は「北海道&東日本パス」を使用して北海道へと向かう途中でちょっと立ち寄っただけ、二度目は福島県の郡山で自動車免許取得合宿に参加するためでしたから、実質、仙台を観光するのは初めてでありました。一度目は福島駅から山形県に寄り道して仙台駅へと向かうルートでしたが、三度目の今回は快速仙台シティラビットに乗車。ただ、往路は郡山駅で乗った列車がそのままその快速仙台シティラビットになったことをにわかに信用できず、外に出て駅構内をうろうろしてしまいました(汗)

仙台駅に到着して、友人との待ち合わせ時間まで駅周辺を観光することができました。まずはポケモンセンタートウホクへ……これは単に『ポケモン』への興味というよりは、前回この仙台に来たのが2010年で、仙台七夕祭りの真っ只中の盛況振りを体感した自分にとって、東日本大震災は忘れえぬものでありまして、震災後にオープンしたポケモンセンタートウホクへは是非行っておかねばと思っていました。

上段左より、オーサカ・ヨコハマ・トウホクのご当地グッズ。下段はサッポロ。トウホクとサッポロを訪れた際はちょうど1周年記念のグッズを販売していた。 (2013/1/3) 撮影: 豅リリョウ
ポケモンセンターで上図右上のグッズを手に入れまして、大きなおともだちは旧仙台城跡の方面へと歩き出しました。時期はクリスマス、きらびやかなイルミネーションに飾られたアーケードを抜けると、段々と人気が閑散としていき、いつしか高層ビルもまばらになった広瀬川前、ここからが旧仙台城でございます。

広瀬川に架かる石造りの橋、大橋。この写真は仙台市街地の方を向いて撮っている。 (2012/12/22) 撮影: 同上
仙台城跡に到着! (同上) 撮影: 同上
仙台城のあった場所には仙台市博物館がある。 (同上) 撮影: 同上
伊達政宗 (……と言うより、伊達家かな?) ゆかりの地、仙台。その仙台の歴史を数々の文化的・歴史的遺産と共に紹介する、仙台市博物館へとボクは足を運びました。実は辿り着いたときには閉館時間まであと3分の2時間ほどに差し迫っていて、あまりゆったりとした気持ちでは観られなかったのではありますが、予想以上に充実していました。

その後、日もすっかり暮れて久しい頃に友人と合流し、楽しく談笑しましたとさ。

3) 大阪府訪問

東京駅で始発列車に乗れば、おそらく山口県あたりまでは鈍行列車のみで行けるのではないでしょうか。ただし、一日中列車の中です。「時間をお金で買う」という発想は、これに類する体験によって生まれるものなのではと思うところがあります。今回の旅路は片道約11時間……やはり、 (精神的に) こたえました。とはいうものの、どんなに列車旅に興味がなくとも、辛抱をすれば辿り着くということです。でも、車窓を流れる風景だけはちらちらと見ておきましょう。

とどのつまり、雪化粧をした富士山は、いやいやでも撮影してもよいのではなかろうかと。 (2013/1/4) 撮影: 同上
名古屋駅から大阪へは、JR線のみを利用する場合、琵琶湖方面へとぐっと持ち上げられる形となります。日本のケモノ・ファンダムでは初となる、ホテル宿泊型の「コンベンション」、JMoF (Japan Meeting of Furries) が1月12日から3日間 (実質的には2日間) 開催された彦根を通過し、新快速 (※) に乗って一気に大阪へ。大阪駅に着いた後は、友人のもとを訪ねるために更に数十分ほど乗り継ぎ、目的地に到着したのは日没の一歩手前あたりでした。

※ 青春18きっぷは、快速列車にも乗ることができます。先述の快速仙台シティラビットも同様です。

友人宅に着いたあとは……そうですね、新年早々何かにされていたような気が……あ、いえ、何でもありません。ウェブログを間違えようにも他にウェブログがない

 ◇ ◆ ◇

年末年始はこうして消化されました。コミックマーケットへは今回も参加せず……と思いきや、 (事後報告ではありますが) 実は初めて同人誌に寄稿をしておりました。Audie-Gryphさんの『Mode X-11』には、豅による「サハバトゥ縫いぐるみ拘束」イラストが十数枚 (6枚 + 差分8枚) ほど収録されております。

旧年は辰年でしたね。その前半年はユスタヴァのブラッシュアップが主立っていたと振り返ります。ユスタヴァのキャラクター・リファレンスシートを完成させ、『学問竜』の大改装と共にサイトの顔ともなりました。また、AnthroconのArtshowにも作品を出展し、ご評価を戴けたのか落札されたことも大きな収穫でした。さて、2012年の後半年はサハバトゥ一色だったといわざるをえません(笑) 7月に発表した『気がついたら着ぐるみを着せられていて……』 (R-18作品) は、最初に作品をアップロードした Twitter 上で、そして pixiv 上で、これまでボクが経験したことのない規模で反響を呼んだようです。いちばん驚いたことは、このサハバトゥの漫画がアマチュア動物着ぐるみグループのオフ会でも情報交換されていたことですね。まさかそこまでとは……お蔭様ですっかりぬいぐるみのわたになりそうです

大真面目にサハバトゥ現象について振り返ると、たまたまタイミングが良かったとしか言いようがありません。着ぐるみフェチ自体は以前から日本にもありましたが、アマチュア動物着ぐるみグループのイベントでの「男子目的の」望まれぬ参加者の所業により、着ぐるみと性は一時期、神経質なほどに切り離されていたそうです。それから年月が経ち、徐々に着ぐるみフェチに対しても寛容になってきていた頃に、サハバトゥがやってきた、ということらしいのです。そうした経緯は今でも気に留めております。

さて、今年は癸巳 (みずのとみ、きし) 。旧年の壬辰 (みずのえたつ、じんしん) では「妊娠」に繋がるということで勝手に盛り上がっておりましたが、まさかサハバトゥを孕んでいたとは思いもよりませんでした。癸巳は、癸が陰の水、巳が陰の火を表し、相剋 (水剋火) の関係にあるようです。ボクにはこれが、どうもサハバトゥ (癸) の中に閉じ込められて弄ばれている自分 (巳) しか思いつかないのは、何かの予兆なのでありましょうか……

……いや、純粋に、本年も素晴らしい年となりますよう、稔り多き年となりますよう、未来へと繋がる年となりますよう、願いつつも努力して参ります。

【動画紹介】


Crayon Dragon from Toniko Pantoja on Vimeo.

トニコ・パントヤ (Toniko Pantoja) 作 『クレヨン・ドラゴン (Crayon Dragon) 』