2012年12月16日日曜日

仏独共同出資のテレビ局アルテ、日本のラバー界を取り上げる

 久し振りにウェブログを書く運びとなったのは、 (まだ完全には終わっていませんが) 大きなタスクを終えて時間的な余裕ができ、なおかつこのネタが Twitter では書き切れなさそうだと思ったからです。日付はこのウェブログの慣習で日曜日に合わせていますが、実際にはその翌日以降に書いたものです。見栄えだけよくしても意味がなさそうな…… (今頃悟る)

 さて、今回はちょっとアダルトな内容です。フランスとドイツの共同出資で設立されたテレビ局、アルテ (Arte) の番組「トラックス (TRACKS) 」で、日本のラバー愛好界が取り上げられ、その筋では話題になっております。ただ、ボクが見る限りこの番組は「動物モチーフのラバー = ファーリー (furry) 」というバイアスが掛かっているように感じたので、もう少し掘り下げてみることにしました。

http://www.arte.tv/de/die-rubber-furries-in-hochglaenzenden-latex-outfits-ihrer-leidenschaft/7075772.html

 このルポルタージュを書いたのはジュリエ・テラソン (Julie Terrasson) さんというおそらくフランスの方ですが、本局でドイツ語に訳されているので、フランス語はちょっとわからないけどドイツ語なら…… (いや、自信はないけど……)

Dank ihrer handgefertigten Latex-Anzüge entfliehen die Rubber Furries in ihre Traumwelt und spielen „tierisch verrückter Bauernhof“. Doch im Latex-Zeitalter kann man die anthropomorphen Wesen nun endlich auch zum Leben erwecken. Bei den Gummi-Fetischisten wird das Tier zur Bondage-Domina.
Der tierische Fetisch schwappt gerade nach Europa, hat seinen Ursprung allerdings in Japan. Hier, in Tokio, leben Wanco und Karin Kariwanz, zwei der weltweit ersten Rubber Furries. Wanco, Japanisch für “Wauwau“, sieht aus wie Scooby-Doo und ist Schriftsteller. Karin, das Wesen mit dem Nemo-Fischkopf, ist Werberegisseurin. Inspiriert von den Mangas aus ihrer Kindheit, fertigen die beiden ihre Outfits in Eigenregie an.

Karin und ihr vierbeiniger Freund Wanco bringen sich selbst das Designer-Handwerk bei. Sie kaufen Latex-Blätter, schneiden sie zu und kleben sie dann zu Kostümen zusammen. Innerhalb von zehn Jahren hat das Kariwanz-Duo so etwa fünfzig Outfits entworfen, und natürlich ist keins davon verkäuflich.

 ハンドメイドのラテックススーツの力を借りて、ラバー・ファーリーズ (ラバー好きのケモナー、とでも訳しておきます) は彼らの夢の世界へと遁走し、「獣性の農場」で遊ぶ。ラテックスの時代において、人は遂に擬人化的行為 (ここでは動物のような振る舞いをすること) を呼び起こすことができるのだ。ゴム・フェティシストらによって動物は、ボンテージの王国 (dominus) へと変化する。

 動物性フェチ (ここではファーリーないしファーリー・ファンダム (furry fandom) の言い換え) は特にヨーロッパに広がっているが、その源泉はやはり日本にある。ここ、東京に、カリン (さん、以後原文になくとも敬称をつけます) とわんこさんが住んでいる。二人は世界的に見て筆頭たるラバー・ファーリーズだ。スクービー・ドゥー (Scooby Doo, アメリカのテレビアニメで、同名の犬が主人公) のような見た目の、日本語で「わんちゃん (ドイツ語で「わんちゃん」は「ヴァウヴァウ (Wauwau) 」と言います) 」を意味するわんこさんは、作家である。オレンジ・クラウンフィッシュ (『ファインディング・ニモ』の主人公の魚) の頭部を模したカリンさんは、広告ディレクターである。子供の頃に読んでいた漫画に触発されて、二人は作業場 (Eigenregie) で自分たちのアウトフィット (ここではラテックス・スーツ、あるいはラバー・スーツ) を作り上げる。

 カリンさんとその四つ脚の友、わんこさんは、デザイン工房にて技術を高めている。彼らはラテックスのシートを買い、裁断し、貼り合わせ、コスチュームに仕立て上げる。ここ十年の間に、カリわんズの二人はおよそ五十ものアウトフィットを創作してきたが、もちろん売り出すために作ったものは一つもない。

 さて、ここまで訳しておいてタイトルの紹介をするのですが、放映前 (12月15日以前) にサイトを閲覧した際にはちゃんと原題の「慾情のラテックス・アウトフィットの先鋒――ラバー・ファーリー (Die Rubber Furries in hochglaenzenden Latex-Outfits ihrer Leidenschaft) 」になっていたはずなのに、いま再閲覧してみたところ「プラスティック・イズ・ファンタスティック (Plastic Is Fantastic) 」という味気の無いタイトルにいつの間にか変わっていました。なぜだろう……?

 それはさておき、続きを訳していきましょう。

"Beim einem Internet-Chat habe ich mir den Nickname Wauwau gegeben. Karin und ich sind ins Gespräch gekommen und haben uns dann sehr schnell für abends verabredet. Und damit sie mich erkennt, habe ich mich als Hund verkleidet."
"Vor allem, wenn man eine Maske trägt. Man fühlt sich gleich viel besser. Das Herz klopft nicht mehr bis zum Hals, man ist nicht mehr so gestresst, viel gelassener. Sie ist ein Schutz."
Der nächste Verwandte des Rubber Furry ist natürlich der Furry. Zu Zigtausenden hüllen sich seine Vertreter weltweit in Pelz, um ihre tierischen Instinkte zu wecken. Da lässt auch die nächste Spezies nicht lange auf sich warten. Die Furverts - eine Kombination aus Furry und pervert – leben ihre sexuellen Triebe aus, sobald sie im Tieranzug stecken.
Als bisherige Krönung der Schöpfung erblickt Anfang des einundzwanzigsten Jahrhunderts der Rubber Furry - eine Kreuzung aus SM-Fetischist und Furvert -  das Licht der Welt.

 「インターネットのチャットで自分に「わんこ」という名前をつけたのですが、僕 (一人称が違っていたらごめんなさい) とカリンさんがそこでの会話でその後すぐ夕方に (dann sehr schnell für abends) 会うことになって、彼女に分かりやすいよう、犬の恰好をしたのです。」
「とりわけ、マスクを着けた者は、より魅力的に見えます。心の鼓動が首元まで迫っても心臓が飛び出るようなこともなければ (Das Herz klopft nicht mehr bis zum Hals) 、ストレスにはならず逆にもっとリラックスする。マスクは安全装置 (Schutz) なのです。」

 ラバー・ファーリーはファーリーの最たる近縁種であることはお分かりの通りであろう。世界中の何千人もの人 (Zigtausenden, ここではファーリーズのこと) が、獣性を開放すべく同じように毛皮で身を包んでいる。それはまるで、次に自分が生まれるべき動物種での生 (die nächste Spezies) が待ち切れないのかのように。ファーヴァート (furvert) ――ファーリーとパーヴァート (pervert, 変態) の合成語である――たちは、動物着ぐるみに身を包み、彼らの性的な慾動を表現する。

 これまでにおける創造のクライマックス (Krönung der Schöpfung, 直訳すると「創造の戴冠」) として、二十一世紀初頭において、ラバー・ファーリー――SMフェティシストとファーヴァートの交点――が誕生した (das Licht der Welt erblicken, この世の光を見る)

 賢明な読者様ならば……という偉そうな前書きはナシ! として、インタビューの内容と、解説の内容がどうもずれている気が致します。《 Zu Zigtausenden hüllen sich... 》のくだりは、もしかしたらそうなのかもしれませんが、ファーリーズの創作活動に限って言っても描画や音楽演奏、ストーリー (ライトノベルなど) の執筆なども含まれますから、それがすべてではないことも確かなことです。そして……そもそも、カリわんズのお二方は「ファーヴァート」なのか? という点についても、 (第三者の目からすると) 疑問に思うところがあります。

 次にサエボーグさんへのインタビューを訳していきます。

Bei der Künstlerin Saeborg paart sich der Rubber Furry mit Aktivismus. In einer Galerie in Tokio präsentiert sie an diesem Abend ihre neueste Kreation “Slaughterhouse 6“ – Schlachthaus 6. Mit ihrem Playmobil-Bauernhof aus Latex will Saeborg die Ausbeutung der Frau anprangern. Für sie sitzen Kuh, Bäuerin und Schäfchen im selben Boot.

"Ich bin sehr wütend darüber, dass Randgruppen oft stark diskriminiert werden. Dabei sind diese Leute Vorreiter. Ich verabscheue Menschen, die andere danach beurteilen, ob sie in der Gesellschaft oben oder unten stehen, stark oder schwach sind. Ich hasse diese Mentalität, und alle, die sie unterstützen. Deshalb habe ich angefangen, Tierkostüme zu produzieren."

Wenn Saeborg also ihre Schäflein mit Stacheldraht umzäunt, hält sie damit einer japanischen Gesellschaft den Spiegel vor, die alle Menschen in Schubladen steckt. Saeborg stellt ihre tierischen Outfits seit inzwischen vier Jahren selbst her.

"Bei meinem Kostüm mit den kopulierenden Pudeln sieht man auf den ersten Blick zwei total süße Haustiere, so niedlich wie eine Barbie. Sie sind so süß, dass sie wie Spielzeug aussehen. Aber in Wirklichkeit vögeln sie, weil sie eben lebendige Wesen sind. Wenn man Weibchen und Männchen zugleich verkörpert, fallen geschlechtsspezifische Unterschiede weg, es gibt die Unterscheidung Mann-Frau nicht mehr. Und man kann mich endlich nicht mehr in eine Geschlechterkategorie einsperren."

 女流アーティスト、サエボーグさんはラバー・ファーリーとアクティヴィズム (ここでは活動家の意) を兼ね備える。東京のとあるギャラリーで、彼女は今夕、彼女の最新作「Slaughterhouse 6 (ドイツ語で言えば、シュラハトハウス ゼクス (Schlachthaus 6) ) 」を開園 (上演) する。彼女のラテックスでできた移動家畜園 (移動式農場) によって、サエボーグさんは女性を食いものにすること (die Ausbeutung der Frau, 女性の搾取) を批判しようとしている。彼女のために、乳牛、女性農家、そして仔羊が一堂に会する (im selben Boot sitzen)

 「私は、社会的に疎外された人たち (端の (Rand) 集団 (Gruppe) ) がしばしば強く差別されていることをとても腹立たしく思っています。その点で言えば、ここにいる人たちはパイオニア (先導者) なんです。私は、他人のことを、その人が社会的に (地位が) 上か下か、 (権力が) 強いか弱いかを基準にして判断するような人々を忌み嫌っています。私はこうしたメンタリティ (精神構造) 、そして彼ら (ここではおそらく、改善すべき日本社会の慣習) を支えている総てのものに対して嫌悪感を覚えます。だから私はアニマルコスチュームを作ることを始めたのです。」

 サエボーグさんはまた、彼女の仔羊を有刺鉄線の塀で囲うことを、人はみな型に嵌められている (in Schubladen stecken, 引き出しに仕舞う) という、日本社会の映し鏡 (インタビューでは「縮図」と仰っていました) を批判することにもなるだろうと考えている (余談: この文が一番文法的に難しいです。上手な訳がありましたら教えてくださいorz)サエボーグさんはさしあたりここ五年間アニマルコスチュームを手掛け続けている。

 「私が手掛けた交尾している二匹のプードルのコスチュームについて、人はその二匹が、バービー人形と同じくらい、本当にかわいいペットだなあという第一印象を持ちます。二匹はとても可愛くて、おもちゃのようにも見えます。だけど実際には彼らは交尾をしているんですね、彼らもまず生き物ですから。女性と男性を同時に具現化するとき、性の違い (geschlechtsspezifische Unterschiede, 性種の差異) が無くなり、そこには男女の区別が消滅します。そして最終的には私を一つジェンダーの括り (Geschlechterkategorie, 性のカテゴリー) に閉じ込められないものにすることができるのです。」

 翻訳の間違いに気がつきましたら、是非コメント欄でご指南くださると嬉しいです。実はここまでのテキストは、実際に放映された約10分の番組の中でもそのままの形で出て来ているので、ここでボクの抱いた疑問点をもう一度書きます。「ラバー」と「ケモノ (Furry) 」には全く関連性がないといえばそれは誤りなので、どう表現すればよいのか今も考えあぐねるところがありますが、少なくとも「動物モチーフのラバー・フェティシズム」を直接的に「ファーリー」へと結び付けるのは議論の跳躍だと思いました。おそらく、この番組のディレクターははじめからこの答えを用意していたのだと考えますが、もし、インタビューを受けた方々に対して「あなたはファーリー (ケモナー) ですか?」という質問がなかった場合は、なおさら悪質な報道だったと言わざるを得ないでしょう。

 最後に、番組ではフェティッシュファッション専門サイト、フェティッシュスタイル (Fetish-Style.info) の管理者・編集者: latexcatsuitさんへのインタビューもあるのですが、筆者はドイツ語のリスニング能力には滅法乏しいため、独文のディクテーションと和訳を行うのは難しい……力及ばず、申し訳御座いません。

【今回は動画の紹介を省略します】



2012年5月27日日曜日

脱稿しました、たぶん。

しばらく振りでございます。この五月、特に中盤から今日へ掛けて、原稿を執筆しておりました。世間では、新しい環境に馴染もうと必死になった身体をいたわるゴールデンウィークから上手く抜け出せない際によく陥るとされる「五月病」なる言葉がありますが、些細な事とはいえ、何か短期的な目標を持って日々を活動すると、一日の重みが増し、潤いのあるアクトがおのずと出来るようになるのですね。取り敢えずの「脱稿」をしたボクがその場で振り返るに、そう改めて実感させられます。

とはいえ、苦しい月でもありました。特に、締め切りが差し迫るにつれ、サーカディアンリズムが精神的な緊張で狂い、殆ど寝れない日々が続きました。一ヶ月半ほどをかけて頭の中で練り上げてきた構想を、今回絵に認めたのですが、その作品はボクが過去手掛けた作品を思い返しても類を見ない、突出して巨大なキャンバスに描いたのであります。友人のご好意でペンタブレットを手にして以来、ほぼ半年に亘ってデジタルアートの練習を個人的に積み重ねてきたのですが、それでもまだまだこのデジタルの環境に順応出来ておらず、描いている最中も暗中模索・試行錯誤の連続で、非常に体力を消費しました。この週末はなるべくゆったりと (自分の好きなことをしながら) 休んでいたつもりではありますが、それでも未だに筋肉痛を引き摺っております。挙句、創作意欲は元気そのもので、喜ばしく感じると共に、それについていけない自分のメンタル面の弱さ、決意の脆さ、そして体力の無さを思い知らされる次第です。この点については、よく反省し、もっと善い導きが出来るように努力していく所存です。

因みに、上に述べた原稿 - 即ちイラストレーションは、6月14日から17日にかけ、アメリカのピッツバーグで催される、世界最大級のファーリィコンベンション『アンスロコン (Anthrocon) 』のアートショー (Artshow) に、仲介人を通じて出展される予定です。日本のイベントにも (一般参加経験はあれど) 作品を出展したことが無いボクが、いきなり海外の、しかも日本では到底考えられないような巨大なイベントに作品を出展するというこの冒険、仲介人 ―― アメリカ在住で、日本のケモノ文化をアメリカに紹介する活動を過去に何度も行ってきた御方、イムハタさんのご協力が無ければ為し得なかったことです。まだ『アンスロコン』開催は半月先の話ではありますが、この場を借りてお礼を申し上げます。

このアートワークを完成させた後、すぐさまボクは所属する漫画研究会の原稿に取り掛かりました。時間的な余裕が無く、本格的には描けませんでしたが、およそ一年振りのアナログ原稿でしたから、原稿用紙や筆記具、画材の雰囲気が懐かしく感じられました。この原稿は後日デジタルで着色し、六月初旬終わり頃に発表を予定しております。また、近くホームページの更新も予定しております。出来れば、『アンスロコン』開催前に、ある程度の英語化が完了していることが望ましいですね。

◇ ◆ ◇

記事の締め括りは、毎度恒例の動画紹介でございます。



なんと、今年の『アンスロコン』には、ゲストオブオナー (Guest of Honor) として日本のファースーツ・ジャグリング・アクロバットパフォーマー、「荒ぶる毛玉」ことサーデュオン君が招待されております。そのご活躍を願って、当記事でも紹介します。

2012年4月22日日曜日

TFオフ会、及び「ヒカリエ」レポ

更新日より一週間強遅れてしまいましたが、二週間分を纏めてこの日付で投稿します。今回の記事の内容は二つ、一つはTF(『トランスフォーマー』の略号でもありますが、ここでは transformation 或いは transfur の略称で、変身・変質嗜好のことです。「 A が B に変身する」というものを基軸として、 A から B への一部始終または断片を想定して創作を行います。)ジャンルに関わる人達で短期間に断続的に行われたオフ会に参加したこと、もう一つは渋谷に新しくオープンした「ヒカリエ」のレポートです。

オフ会では、テーブルを囲んで皆で飲み食いをしたり、カラオケで熱唱したり、会議室を借りてイラストを描いたりと、これまでになくエンジョイ出来たと思っております。忙しい四月の中旬だったとはいえ、おのおの何かとかこつけて時間を確保した一同、会食ではそんな疲れた身体を酒だけでなく美味しい料理と愉しい会話で癒してくれました。「とり一」の名をここに書き留めておきます、酒が中心になるかと思えば、肴以外にも煮込み玉葱や刺身などの様々な料理を揃えていて、腹八分のいい具合に食べ物を入れるにも、そこまで高額な会計とはならない、これは下戸なボクにとって素晴らしい場所です。日を新たにして、休日。久し振りにカラオケボックスに入ったボクは、周囲のテンションに圧倒されながらも、自分の歌える無難な曲(……とは言っても、『ガオレンジャー吼えろ!!』という喉を壊す曲をセレクトしていたのではありますが。)を歌っておりました。思えば、オンライン上で知り合った友人達とオフラインでも会うようになって、カラオケに行く回数は確かに増えたので、声の出し方はその通い始めに較べればそれなりに良くなっているかと思しました。最後に、「うろおぼえカンパニー」の会議室にて、友人の似顔絵(獣人・竜人化)を描いてみたり、メイド服の雌竜人を見様見真似で描いてみたりと、絵を描き、語らいながらゆったりとした時間を過ごしました。

◇ ◆ ◇

次は「ヒカリエ」レポートですね。……とは言っても、母と共に赴いたのではありますが、「期待していたほど(敷地面積・取り揃えられている商品の幅などは)大きくないし、ちょっと期待ハズレ」との評ですから、気だるい気持ちを振り起こして足を運んだ割には見返りが少なかった印象ではあります。

「ヒカリエ」概観(撮影者: 豅リリョウ, 2012年4月28日撮影)
 確かに一層一層はボリュームが少な目に思えるかもしれませんが、「ヒカリエ」のこの奇抜な概観は、想像以上にファッション性に満ちています。個人的には、「ヒカリエ」上層部のアート・ギャラリーが洗練されていて興味深く思いました。これから様々なアート・イベントがこの「ヒカリエ」で行われていくことでしょう。

さて、母が唯一大いに感心したのが、フードフロアでたまたま立ち寄った「Rice People, Nice People!」という、ハーブとお米のレストラン。「ヒカリエ」の七階にありますが、これが想像以上に美味しかったです。食費を切り詰めている学生にとっては少々、手を伸ばしにくく思うとは考えますが、恐らく「ヒカリエ」のターゲットである働く20代~30代の女性にはかなりフィットしたコンセプトだと思いました。

「Rice People, Nice People!」ランチセットの一つ(撮影者: 豅リリョウ, 2012年4月28日撮影)
 ハーブ料理とはいえ、脂分の多い料理もあり、平均的な男性なら腹八分目まで気持ち良く食べられるでしょう。ベトナム料理からも着想を得ているということで、白米も長い粒のものです。普段は口にしないハーブなだけに美味しく感じられたのもあるかもしれませんが、少なくともボクは好きです。

ハーブティー(撮影者: 豅リリョウ, 2012年4月28日撮影)
食後にはハーブティーが用意されておりました。左はホット、右はコールドです。適宜蜂蜜(甘さは控えてあるため、茶の風味を妨げない)をかけて頂きます。全体的に軟らかい食べ物が中心でしたから、食べ終わったらすぐに行動出来そうな気分になれます。「ヒカリエ」の中に構えるだけあって、店内の内装は木の香りの生きた開放的な空間作りがされていました。こういった要素が女性を惹き付けるのかな、なんて思いながら店を後にした次第であります。

今回は思い切って店の名前を出して紹介をしてみました。ボクのウェブログでは恐らくあまりなかった試みでしたが、如何でしたでしょうか?

◇ ◆ ◇

最後に、動画を紹介してこの記事を終えましょう。



『The Butterfly Dragon』と題されたこのアニメーション作品は、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学 COFA(College of Fine Arts) の学生 Sushan Yue さんによるもの。静謐な空間の中で起こった出逢い、魔法、その奥ゆかしい世界観がしんみりと伝わってきます。


2012年4月8日日曜日

横浜紀行 JICA横浜~工作船展示館~赤レンガ倉庫

先ず初めに、嘗ての二大竜系サーバの一柱『Dragon-Spirit(ドラゴン・スピリット, 以下「旧竜魂」)』の流れを汲む、恒例の上野公演花見会へ先日行って参りました。旧竜魂系のオフ会に参加するのはボクにとっては未だ数回ほどではありますが、そこへ行けばまず間違い無くお酒を飲むことになるだろう! ……と分かっていたので、仲間内と語らうついでと言っては難ではありますが、自分に合うお酒も(少しだけ)探しました。仮説机の上に広げられた酒と肴(お酒のつまみ)の中から、猫谷さんに「ズブロッカ(ポーランド語: Żubrówka, ジュブルフカと読みます)」という香草の入ったウォッカを薦められ、飲んでみた所、その度のきつさは下戸なボクにとって辛いものがありましたが、風味が好く、またしつこさが無くて非常に飲みやすかったので、めでたくお気に入りのお酒リストの仲間入りを果たしました。

また、さとみさんからは彼の持ちキャラクターの名の由来であろうスコッチ・ウイスキー「アイラ(Islay)」も試飲させてもらいました。ウォッカを二杯飲んだ後でありましたから、些か記憶が曖昧ではありますが(苦笑い)、確かカリーラ(Caol Ila)だったと思います。本場「命の水」の味は未だそれ程意識して嗜んだ事が無い為、明確な比較材料に乏しい状態ではありましたが、これもまた自分にとって「愉しめる」お酒でありました。少々、水で割りすぎた事が悔やまれます。

ここまでお酒の話しかしておりませんね(汗)。酒でよく喋るように出来上がったボクは、二次会では堅苦しい話を持ち出しては自論を主張する、ただのイタいおっさんになってしまいました。もう少し冷静になった方が良いのでは……と思い立つ頃には喉も焼けており、リリョウ(黒いドラゴン)の腹の内を少し露呈してしまいました。狐塚さんはそんな状態のボクを「寧ろそれが好い」と仰って下さいましたが、一つだけ言えることは、ボクにもそういう面があるのだな、と感じたことです。棲家に帰巣したのは日付の変わる頃で、久し振りに深夜の街を夜風に当たりながら歩いた次第であります。

◇ ◆ ◇

話題を変えまして、更に一週間程前、小学生の頃からずっと仲良くしている親友二人と共に、横浜へ行って参りました。ボクを含めて三人の脳裏には、昨年の三月十一日に、久し振りに会って何処かへ行くということは、「何かしらの天変地異があるぞ」という変な危機意識と言いますか、そんなジョークが振って湧いておりました。

案の定、狙ったかのように暴風雨でした!

然し三人は安堵しておりました。これだけの暴風雨に見舞われたのだから、今日は地震は無い、と。そんな笑い話も交えながら、それぞれの近況を話し合いつつ、小数時間かけて横浜に辿り着きました。

JICA横浜、赤レンガ倉庫等がある人工島(撮影者: 豅リリョウ, 2012年2月18日撮影)
今回の目的地は、上の写真に写っている人工島にある、「JICA横浜(国際協力機構 横浜国際センター)」でした。何でもここでは世界の料理が食べられるということで、腹を空かせてたらふく食べてやろう! ……という寸法でありました。写真は晴れていた日に横浜ランドマークタワーの展望台から撮影したものですが、上記の通り当日は暴風雨で、休日とはいえ流石に客足はまばらでありました。右手に見える通路を通って島へ上陸したのですが、吹き荒れる風で何度も身体ごと揺り動かされました。この数日後にはもっと強力な台風並みの低気圧が日本列島に襲来し、各地に被害を齎したことも鑑みるに、風雨も地震と同じく計り知れないパワーを持っているのだなあと痛感させられます。

JICA横浜 海外移住資料館(撮影者: 豅リリョウ, 2012年3月31日撮影)
JICA横浜に何とか辿り着いた一行は、お昼まで未だ時間があった為、海外移住資料館へと足を運びました。日本の開国以後、日本人の海外移住と、その苦難の歴史が紹介されている、フツウに日本に暮らしていては中々見えてこない日本人の実像を映し出す資料館であります。ボクはヨーロッパを大学では研究対象としておりますが、ヨーロッパに於いて日本人移民という話はまずありません。日本人移民の歴史は、「新大陸」アメリカ大陸の《人間の市場の要請》に触発されるような形で始まりました。当時の日本政府は送り出すことは喧伝するものの、その後ろ支えとなるような支援を殆ど行わなかった為、新天地を求めて地球を半周した日本人達は現地で苦難を強いられました。更には北米で人種差別(日本人の勤勉さに、WASPが自らの立場を危惧したと言えましょう)の災禍が渦巻き、日本人の入植は中南米大陸へとシフトします。第二次世界大戦では、これらの国々とは敵対関係となり、捕縛されるもの、強制送還されるもの、そして虐げられるもの、蔑視されるものが多くかの地に生きていたのであります。

それでも尚、例えばブラジルには日本の文化の一部が受け容れられていますから、日本人の精神というものは世界に通じるものがきっとあるのでしょう。

東南アジア・南アジア・中南米の料理の数々(撮影者: 豅リリョウ, 2012年3月31日撮影)
さて、見学を終えた三人は遂に目当ての世界の料理と対面しました。「ポートテラスカフェ」へと赴き、お金を折半してメニュー(日替わりメニューを除く)の約5分の3くらいを注文。一つだけ残念だったなあと思うことを挙げれば、「世界の料理」を期待していたボクにとって、東南アジア圏・南アジア圏・中南米圏だけとなると、「まだ半分残っているだろう!」と思ってしまいます。

しかしながら、これだけ量を揃えるとやはり壮観でした。豆料理が中心となるのは、主食が米の日本では中々見られない光景でしょう。中でも右下にあるフェジョアーダ(feijoada, ブラジルの黒豆とお肉の煮物)は、見た目はお汁粉そっくり! 口へ運んで咀嚼すると、すぐに「嗚呼、豆料理なんだなあ」という念に駆られましたから、この料理が一番の驚きだったと言えましょう。また、料理に使われるお米もインディカ米(長粒種)で、普段日本人が口にするジャポニカ米(短粒種)の食感・風味とは全く異なっているように感じられました。

ごちそうさまでした。(撮影者: 豅リリョウ, 2012年3月31日撮影)
 食事を終えても尚、暴風雨は止まなかった為、意を決して建物を出て、横浜赤レンガ倉庫(新港埠頭保税倉庫)方面へと歩きました。こういった強風の日はまるで傘が役に立たないのですが、それでも傘をさそうとして骨と肉をひん剥かれ、無残な姿に変わり果てた傘達がゴミ箱に大量に突き刺さっておりました。何とも言えない感情がこみ上げてくる次第であります。

飛鳥II(撮影者: 豅リリョウ, 2012年3月31日撮影)
 港には二隻の大型船が停泊しておりました。一つはあの豪華客船、飛鳥II。もう一隻は……

海上保安庁巡視船「しきしま」(撮影者: 豅リリョウ, 2012年3月31日)
海上保安庁(Japan Coast Guard)が保有する巨大な巡視船「しきしま(PLH31)」です。なんでも、《イギリス・フランスから日本までのプルトニウム運搬船護衛用として1990年度予算で開発された(Wikipedia日本語版当該記事より)》らしく、一目見た時は「海上自衛隊の護衛艦か?」と思ってしまいました。そんな凄まじい巨艦のすぐ傍には……

工作船展示館(撮影者: 豅リリョウ, 2012年3月31日撮影)
 やや小規模ながらも、こんな施設がありました。巡視船の攻撃を受けて沈没した実物の工作船が一隻、映像と共に公開されております。こじんまりとしているとは言え、どこか胸に差し迫るような想いを感じました。

第5回 アフリカンフェスティバルよこはま2012 パンフレット表紙
 そして遂にやって参りました、赤レンガ倉庫。赤レンガ倉庫の中には現在、アクセサリー・グッズ店やレストラン等、実に様々なジャンルのお店が入っています。また、倉庫にあるスペースを借りて、上記のような催しが開かれることもよくあるようです。ボク達が行った時は丁度『アフリカンフェスティバル』の真っ最中でした。

ケニア、マラウイ、レソト、ザンビア、コンゴ民主共和国、マダガスカル、ウガンダ、モザンビーク、ナイジェリア、タンザニア、エリトリア、ボツワナ、ジブチ、エチオピア、エジプト、ガーナ、ジンバブエ、リベリア、トーゴ、アンゴラ……などなど、アフリカ諸国の持つ沢山の伝統や文化、社会や人々を紹介するそれなりに大きなイベントで、現地の文化を日本に紹介する活動に参加している日本人も一緒になって盛り上げていました。ノシベ、モロンベ、サザンクロス街道といったマダガスカルの観光地紹介や、南アフリカ共和国のルイボス茶、タンザニアのザンジバルスパイス、そして何より各国の民俗工芸品がずらりと勢揃いした会場は、物凄い熱気に包まれておりました。また、各国大使館から要人もご来訪なさっていて、自国のプロモーション、及び投資を呼び掛ける資料などを配っておりました。

赤レンガ倉庫を離れて、帰り際にポケモンセンターヨコハマに立ち寄り、物品を物色してから帰路につきました。一日で南アジア、東南アジア、極東アジア、中・南米大陸、アフリカ大陸と、世界をほぼ一周した感じでありました。

◇ ◆ ◇

追記、動画紹介を忘れておりました。





折り紙アートといえば神谷哲史さんの名前がすぐに思い浮かぶと思いますが、今回紹介する二つの作品は、一つ目は Gilad Aharoni さん、二つ目は Kade Chan さんによるデザインです。

2012年3月25日日曜日

二度目の奥多摩

JR青梅線をひたすら西進すること一時間強、奥多摩駅を降り立ってバスへ乗り込み、険しい山々をまるで糸で縫うかのように走っていくことこれまた三十数分、「ここは東京都か!?」と思わず疑ってしまうくらい、「都」という漢字がまるで当て嵌まらないような場所に、何と鍾乳洞まであるのです。《東京都のオアシス》こと奥多摩町に、日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)という所がありまして、友人三名(ガーリィさん、L.A.S.さん、狐塚さん)と一緒に訪れてみました。

▲青梅駅の看板(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
実は奥多摩には高校生時代の思い出があります。高校の頃は化学部に在籍しておりまして、その部は年に二回、多摩川の水質調査を(私的に)行っております。高校二年生の夏、ボクはなんと多摩川の源泉、奥多摩湖(小河内ダム)の取水を任され、単身で奥多摩へ向かいました。取水時間は午前九時丁度と決まっていて、それに遅れると条件不一致となる為、遅刻は厳禁ということで、内心緊張しておりました。そのときの最大の危機はこの青梅駅でした。何故かって? 前より四両だけが奥多摩方面に向かいまして、それから後ろは切り離されて折り返しとなるのです。その時ボクは前から四両目の座席に座っておりました。後ろの号車が離れているのを見て、おかしいなあと思っていたのですが、構内アナウンスが耳に届いていなかったのでしょうか……いずれにせよ、ギリギリセーフでした。

▲奥多摩駅舎(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
勿論あれからある程度知識をつけた今回は、とぼけることなく確かに奥多摩駅に降り立ちました。当日はすっきりとした青空が広がっておりまして、日本家屋風の駅舎の白壁が非常に良く映えておりました。

▲大木戸稲荷神社(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
駅舎のすぐ近くにある稲荷神社を狐塚さんが発見されて、点と線だけだったボクの奥多摩像にまた一つ稔りが出来ました。やはり都民のレジャーの地といいますか、登山安全という文字がはためいております。

さて、一行はバスに乗り込んで、鍾乳洞へ向かいます。

崖崩れ跡(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
鍾乳洞入り口の近辺で崖崩れがあったようで、鍾乳洞から奥は立ち入り出来ない状態になっていました。市街地に住む一都民としては、なかなかこれが「東京都」とは思えない光景の一つであります。

日原鍾乳洞入り口(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
遂にやって参りました、日原鍾乳洞! ごつごつとした岩肌にぽっかりと空いた洞穴に入るや否や、ひんやりとした空気が張り込めておりました。壁や天井を見やると、何と氷柱(つらら)が出来ているではありませんか。鍾乳洞内部の入り口付近は地面も凍っていた箇所が多く、また通路が狭い為に何度も転びそうになってしまいました。肝心の鍾乳洞内部の様子は……一応写真には収めましたが、なにぶん暗い上にそこかしこの蛍光灯や電球で逆光になることが多く、ボクの素人なカメラ捌きでは上手に写真を撮れませんでした。ですから、沢山身体で味わってきました。とにかく、ひんやりしていて気持ちが好い。数十メートルはゆうにあるだろう、そんな大広間もありまして、開放感と圧迫感のアンビヴァレントな環境はまさに別世界でした。通路が大きければドラゴンでも棲みつきそうな感じでしたねえ。

▲日原鍾乳洞案内図(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
▲日原鍾乳洞内のせせらぎ(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
▲日原鍾乳洞、竜王の間(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
ちょっとちいさすぎるなぎゃ

ライトアップのし過ぎで苔が生えてきてしまっていることは、何処の(一般公開している)鍾乳洞でも抱えている非常に解決の難しい問題だとは思います。光が無ければ何も見えませんからねえ……ただ、近頃LEDランプが公共機関をはじめとして浸透し始めてきているので、何れの時にかこうした問題を解決してくれるかもしれません。

そんなこんなでバスが来る時刻が差し迫り、一行は鍾乳洞を後にしました。バスを一つ逃すと、平気で数時間も待たされてしまうので、今回も時間には少々ナーバスにならざるを得ませんでしたが、大変面白かったです。場所が場所だけに、中々行く機会を持てないとは思いますが、興味が御座いましたら是非その目でお確かめ下さい。ただ、締め括りに一つ話をさせて下さい。鍾乳洞内で一組の男女カップルとすれ違ったのですが、女性が男性に「何でこんな所に連れて来たのよ! 早く出ようよ!」と急き立てておりました。……国内最大の鍾乳洞とは違いまして、この日原鍾乳洞はごくフツウの鍾乳洞です。ですから、市街地に棲む都民としては「こんな所に鍾乳洞が!? すごい!」と思う訳でありますが、苦労を重ねてまで来るような場所ではないと思いますので、あしからず。

▲奥多摩ハイキングフリーきっぷ(撮影: 豅リリョウ, 2012年3月13日)
最後に、今回のぶらり小旅行はこの「奥多摩ハイキングフリーきっぷ」のメモリアルの為でもあります。2012年の3月を以て、西武線からダイレクトに奥多摩方面へ行けるこの切符は廃止されます。

この二週間、イベントがもう二つありました。一つは、その昔大変親しく付き合っていた元近所の母親とその子が集まって、飲み会をしたのであります。十数年前、まだ小学生だったボクもいまや成竜となり、手に持つコップにはジュースではなくお酒が注がれ、乾杯。何とも言えない、ちょっとした感動に包まれました。

そして、一周年を迎えた「ふぁーすと」にも顔を出してみました。今回の「ふぁーすと3」は、ボクの目からして、海外の方々の参加が増えてきたかな、と感じました。目当てのモノを買うことが出来ず、気持ちの栓が少し緩んだのか、手に取って試し読みをしてみて大層感動したものを衝動買いしていってしまいました。まあ、結果オーライ、自分としてはエンジョイ出来たかなあと思います!

PS: 今回の記事には沢山写真を使ってみましたが、いかがでしたか? もし宜しければ、感想をお聞かせ下さいませ。

それでは最後に、恒例の動画紹介とやらにいきましょう。


『ラ・チョイ』という中国料理の缶詰のCMがどのようにして出来たのかを紹介する、プレゼンテーションムービーです。かなり旧いものです。

2012年3月11日日曜日

「未曾有の大災害」から一年

東日本大震災から一年が経った現在でも、福島第一原子力発電所問題や震災からの復興問題が取り沙汰されております。それもそのはず、歴史的な円高や隣国の中国・韓国その他新興国の台頭もあって、ただでさえ辟易していた日本経済に、更に大震災というものが襲い掛かってきたわけですから、外見からすればますますキャップがされてしまったという状況に陥っております。国家の力・政府の力を動かすことも、なかなかに難しいことなのでしょう。

いや、現行の政府を鑑みる限り、そういったナショナルな、ギャバメンタルなパワーを期待できないという方も多いのではと思います。国境を越えた支援もそうですが、数え切れないほどの人々の力と、願いと、祈りが、大震災からの復興をまず最初に支えているのでしょう。

復興庁が設置されたのもついこの間のように思ってしまいます。日本の官公庁が何か事業を遂行するときは、決まってこうして「函(はこ)」を作っているような気が致します。これの設立をするが為に多額の義捐金を投入したり、これの成員を確保するが為にまた新たに「天下り」の温床を作っていまいか、心配です。こうした手法を「縦割り行政」と呼びますが、本当に必要なものは大義名分を語る「函」ではなく、人と人とが繋がり合う「心」なのだと信じております。

さて、昨年の三月十一日、ボクは何をしていたのかといいますと、飯田橋にある印刷博物館にて、印刷技術を体験するという学習教室に参加しておりました。小学校時代からの友人達と久し振りに再会して、仲睦まじく談笑しているなか、突然地面がズンと突き上げられたような物々しい音にハッとさせられ、特に身を動かさずじっとしていると周囲の物々がガタガタと震えており、「これは地震だ、大きいぞ」と思ったところで、その予測以上の揺れに見舞われました。スタッフの方々に誘導されて、危険と思われる場所から距離を置き、地下一階の大広間にて待機しておりました。この印刷博物館、ガラス張りの建物ではありましたが、比較的新しい、つまり新しい耐震基準を満たすような建物でありましたので、割れたガラスで怪我をするようなことはありませんでした。

しばらくして、携帯端末で事の重大さを知ったボク達は、このまま外に脱出しても思わぬ怪我を喰らう可能性があるだろうと考え、しばらくその場に留まることにしました。すると体験学習の担当者さんから声を掛けられ、もし宜しければ、体験学習をされて経過を精査致しませんかとお誘いを受け、ボク達も恐らく電車は使えない(印刷博物館へは電車を利用して赴いたので、大変な混雑と、駅の閉鎖で待ちぼうけを喰らうのはあまり好しとしなかった)から、折角だからやっていこうと決心し、体験学習を受ける運びとなったのであります。

活版印刷の体験で、版を揃える(文字の一つ一つが判子のような細長い一つの金属のパーツになっていて、それを拾い集めて文章を作っていく)ところから、実際に印刷する(イギリス製の手動の印刷機を使用しました)ところまで、叮嚀に教えてもらいました。体験学習の後、特別に工房内のものをゆっくりと見させてもらいまして、旧い印刷機の解説や、版の素材など、様々なことを解説して下さいました。コーナーの一角、物が散乱してしまっているところがありまして、どうやらこの地震で工房もダメージを受けてしまったようでありました。因みに、栞を制作したのですが、印刷した一文は「驪竜頷下之珠 竜蟠虎踞」でありました。あまり地震とは関係はありません……

さて、博物館を出たボク達が更に建物(凸版印刷さんの建物の地下に博物館があるのです)に留まっていると、社員さんから非常用食糧と水を戴きまして、この対応には一年経った今でも好印象であります。午後六時頃になってようやく一行は帰路へと足を踏み出し、既に繋がり難くなっていた携帯電話で家族と何とか連絡を取ろうと試みながら、数時間歩き続けました。何度か運良く繋がり、自分達の無事を伝えつつ、こうして知人と共に居られることを感謝しました。確かにあの時のボクは言いように無い不安に少なくとも少しは曝されておりました。見たことの無い光景がそこに広がっていた訳でありますから、少なくとも少しは焦心していたのでありましょう。

ご好意にも同行していた友人の一人の家族が車で迎えに行くとの連絡が入り、待機場所として選んだ荻窪で居酒屋に入り、初めて小学生来の友人と酒を交わしました。こうして書いていると、非現実的なことが立て続けに起こった日だったのだと実感させられます。飯田橋から荻窪へはおよそ20キロメートル、休み休み歩いたのですが、およそ八時間ほどボク達はいわゆる「帰宅難民」でありました。車に乗せてもらった際に、こうして迎えに行こうとする車で高速道路も殆ど動かなかったとのことで、帰宅することに必死にならず、どこか避難場所を見付けて一泊した方が無難ではなかっただろうか、という一念に駆られました。ともあれ、こうしてボク達は「久し振りの再会」の日を過ごしたのであります。

この日のことは実は、二日後にmixiの日記で軽く触れていたのではありますが、「未曾有の大災害」から一年を機に、 もう一度、より詳しく書いてみることにした次第であります。

前書きの続きではありますが、原子力発電所の事故の問題はやはり世代間倫理の問題へと今日ではリンクしました。このような危険なエネルギーを後代には残してはいけない - 確かにその論も、その想いも一理あると思います。原子の力、つまり核エネルギーというものは、あの遠く離れた、古来「神」と崇め奉られたことのある太陽の一歩手前のようなエネルギー(核分裂エネルギーと核融合エネルギーを一緒に考えることは、大変な誤謬かもしれませんが、感覚的なものとしてここではお捉え下さい)で、人間が扱うにはあまりにも強大すぎるのかもしれません。

ただ、水力発電や火力発電などが「代替エネルギー」と呼ばれることには、少し警戒感を禁じ得ません。大規模な水力発電を行うには、ダム無しにはなかなか難しいでしょうし、火力発電にいたっては、有限とされる化石燃料を使用します。ダムを作るには、ときに山の生態系を破壊したり、山間の人々の営みを破壊したりしなければなりません。また、化石燃料の過度の使用は、以前は大いに叫ばれた地球温暖化現象への懸念(「地球温暖化詐欺」というタームもありまして、本当に地球は人間による環境破壊によって急激に温暖化しているかどうかは、本物の確証を得てはいないようですが)や、それ以前に大いに叫ばれた大気汚染(その昔よりは技術的に除去能力が向上しているとはいえ、完全に除去するには至らず、また、実は平時の原子力発電より火力発電の排出物の方が放射性物質の濃度が高いとする研究もあるようです)を助長しかねません。そう、その昔、原子力発電は(皮肉なことに)「クリーンエネルギー(温室効果ガスを殆ど出さないという意味で)」とボクを含む子供達は教えられたことがあります。その頃の教科書が残っていれば、説得力があるのですが、この件に関してはボクの個人的な体験談に留まってしまいますので、あまり鵜呑みになさらないで下さい。

つまり、本当に後世に残されるはずのエネルギーに関する「宿題」とは、エネルギーそのものなのです。 現在、クリーンエネルギーという言葉は「再生可能エネルギー」という言葉に取って代わっております。水力発電も含みますが、新しい水力発電はダム無しを実現してくれるかもしれません(実際、そのような小型の水力発電装置を見たことがあります。括弧書きが多くてすみません……)。他にも自然の水を使った発電法には波力や潮力などがありますし、地震の多い日本がア・プリオリに持つエネルギーを利用する方法の一つとして地熱発電があります。また、太陽からの贈り物をエネルギーに換えるという研究も進んでおります。生体燃料(バイオ燃料)については、そのバイオ燃料を作らんが為に食糧供給を圧迫して、価格の高騰に繋がったという懸念材料がありますが、ともあれ、既存のエネルギー生産法に代わる「何か」を、誰もが探しているのであります。技術者でも専門家でもないボクは、一匹の市民として、あらゆる情報を精査し、「正しい知識を得る」と形容するよりは、より大きな目線で、「包括的に捉える・様々なアプローチが出来るようになる」ことを目標にしながら、冷静に熟考出来る存在でありたいです。

さて、重たい話もここまで、最後は定例(とするつもり)の動画紹介であります。


twitterでも紹介しましたが、女性がある月曜日、シャチに追い掛け回され、その後日も、またその後日もストーキングされるという、奇想天外の着想を持ったショートアニメです。

2012年3月4日日曜日

ブログ再開のお知らせ

今年は何と云っても辰年。辰年だからこそ様々な事物に挑戦していきたいところであります。
とはいえ、先ずは身の回りのことを纏めなければということで、
二月からずっとサイト『学問竜』とその周辺を改装工事しているところです。

ブログも例外ではなく、昨年は休筆していたのですが、
この三月の最初の日曜日を機に、このbloggerでブログの執筆を再開したいと思っております。
今回はそのご挨拶です。

長らく利用させて頂いていた忍者ツールズのブログから過去の記事をインポートしたかった……
のですが、残念ながら形式が異なっており、データを移行するなら手動で、ということになりそうです。
どうしたものか、うーん。

隔週一記事(つまり二週間に一回)以上のペースで書いていければなあと思います。
こういうものは何か話のタネがあると捗ると思いますので、記事を書く際は一つ動画を紹介しますね。


アメリカ、ジム・ヘンソン・プロダクションの恐竜CGアニメ『ダイナソー・トレイン(Dinosaur Train)』の劇中歌、
『ダイナソーズ・エイ・トゥー・ズィー(Dinosaurs A to Z)』です。