2016年12月31日土曜日

2016年を振り返る

退職と再就職

JMoF 2016が終わってから3ヶ月も経たない内に、前職を辞めました。
前職は従業員が10人未満のこぢんまりとしたLSP(ランゲージサービスプロバイダー)の会社でしたが、皆さんがよく耳にするような大企業とのパイプを長年持っていました。私はそこで、主にDTPオペレーターとして取り引き先の担当者から(喜ばしいことに)信頼を得ていました。
ですが、零細企業とはいわば荒波に繰り出している小舟のような存在であり、それ故に船員は全クルーとウェットな信頼関係を築かなければなりません。私の場合、経営者とのミスコミュニケーションが積み重なってしまいました。
人それぞれに得意・不得意があり、自分の常識は他人の常識ではありません。少なくとも、私は脅されて強くなる人ではなかったようです。最後には、なかば感情的になって退職しました。

再就職手当をもらうようになってから、就職活動を始めました。とは言っても、はじめの内は活動実績をつけるために、ハローワークの担当者と週に1回面談することを機械的に続けていただけでしたけれども。
求人に応募することをはじめても、企業研究にはまったく関心を持てなかったので、面談の機会をいただいてからその企業のホームページなどを確認していました。「御社の求人票を拝見しましたが、それだけでは分からないことがたくさんあります。今回、こうした機会を設けていただきましたので、御社についてより詳しい話をお聞きしたいと思います」と、面接の場で企業分析をしていました。

前職では大人しくし過ぎたという反省もあり、強気の姿勢を貫いた結果、応募した会社の4割程度から内定ないし採用のお知らせをいただきました。そして、そうした会社に「逆お祈りメール」を書いて送る経験もしました。ただ、いつまで経っても決断しないことは身内を不安にさせるため、年内での決着をはかり、再就職しました。
どれだけ冷静になろうとも、どれだけ強気になろうとも、完璧な選択は難しいものです。最終的に選択した道の価値は、今のところまだ見えていません。ですが、今得ているチャンスでは、多少の反抗心をもって挑もうと考えています。

ゲーム三昧

退職後、まず取り組んだことがPCゲーム環境の構築でした。以前から、Steamで販売されているPCゲームに興味があったのですが、要求スペックを満たしていないという問題がありました。友人に依頼して組んでもらったニューマシンは、「一般的なFPSゲームが十分に動作する」環境なのだそうで。私は味を占めたようにさまざまなPCゲームをプレイしました。

特にパズルアドベンチャーものが好きで、『タロスの原理(The Talos Principle)』はDLC『ゲヘナへの道(Road To Gehenna)』やユーザー作成マップも含めてやり込みました。

『タロスの原理』のユーザー作成マップ

スマートフォンでプレイした『ミスト(Myst)』シリーズの精神的後継作『オブダクション(Obduction)』を、オンタイムでプレイできたことを感慨深く感じています。

『オブダクション』のフンラース(Hunrath)
他にも、『カタイフ:クンチーの実験(Catyph: The Kunci Experiment)』、『言葉の力において(In Verbis Vertus)』、『ジュリア:星々にまどろんで(J.U.L.I.A: Among the Stars)』、『命なき惑星(Lifeless Planet)』、『パパとぼく(Papo y Yo)』、『気付き(The Witness)』……最近のものでは『クウァーン:不滅の思想(Quern - Undying Thoughts)』などなど、紹介したいPCゲームがたくさんあるのですが、このくらいにしておきます。
とにかく、ゲーム三昧の日々を送っていたということです。

JMoF/Furry研究会/Philosofur

はじめに総括を書いておきますが、自由に使える時間の量が増えても、必ずしもすべてができるわけではありません。趣味に関して、私はこの大きな時間を「カラーのイラストを練習する」こと、そして「ケモノ着ぐるみを作る」ことに使うことができませんでした。その代わりにできたことが、掲題の3つです。
JMoFでは、広報スタッフとしてウェブサイトやチラシの原稿執筆/校正/翻訳チェック、Facebookページの更新を担当しています。今回私は、ウェブサイトやチラシのテキストを、日本語・英語の両方ともほぼすべてチェックしました。日本語にして約2万~3万字の量でしたが、「参加者を過度にお客様扱いしない」とか、「システマティックで読みやすい文章にする」とか、さまざまなことを考えながらやりました。
JMoFに参加する皆さんがどう感じているのか、まだ分かりません。ですが、少なくとも日本語と英語の情報ギャップの穴埋めには成功していると信じています。
Furry研究会は、私とまんぐくんがJMoF 2016でやったこと(ケモナー論文公聴会)をきっかけにはじまった試みで、狐野くんをリーダーに据えてこれまでに5回開催したイベントです。「ケモノを言葉の世界で楽しむ」をキーワードに、ケモノについて皆で考える場を提供しています。
Furry研究会の準備で一番気を遣ったことは、知識の垂れ流しにはしないようにすることです。……人によっては気持ちいいと思ってくれるかもしれませんが、小難しく考えることはいったん脇によけて、敷居が低くて間口の広いテーマや方法を採用しました。
『フィロソファー(Philosofur)』は、JMoF 2017のディーラーズルームで有償頒布する、ケモノのテクスト系(エッセイ/記録/研究)雑誌です。なぜこの本を作ったのかについて、詳しい経緯はこの本の中に書いたので割愛します。

『フィロソファー1』の表紙(イラスト:朝城緋蓮さん)
私はこの本のほぼすべての文章を校正しました。プリントアウトした原稿を手に、コーヒーショップや図書館でガリガリと校正する日々(実際には、就職活動やその他の活動もそこでしていましたが)が3ヶ月ほど続きました。「外食店で原稿を書く/校正する」という体験は、正直な話、生きているという実感を覚えるくらいには心に染み入っています。

パッと見で分かるような創作を、今年はあまりできなかったのかもしれません。ですが、こうした文筆活動も創作の1つだと思っています。その意味で、2016年は趣味面で充実していました。

旅行暦

最後に、2016年に旅した各地の写真を載せて、今年の振り返りを終えます。

ユスタヴァとライル(オーナー:KINさん)のツーショット(撮影:着ぐるみ写真館さん)
一年のはじまりはJMoFから。愛知・豊橋で行われた「JMoF 2016」に参加しました。そういえば、「JMoF 2017」までもう1週間もないですね。早いものだ!


さっぽろテレビ塔での集合写真(撮影:Mutさん)
数週間も経たない内に、北海道・札幌で行われた「ちるこん」に参加しました。オフ会の後日、龍我さんとらるくんといっしょにサッポロビール園に赴き、サッポロビールクラシックを片手にジンギスカンを食べました。これがうまかった!


「篠原の里」は、廃校になった旧校舎を再利用した宿泊施設です(撮影:豅リリョウ)
主催のこまこまさんに誘われて、神奈川・相模原で行われた「モフしっぽの会」に参加しました。


大崎八幡宮本宮(撮影:豅リリョウ)

氷狐さんを訪ねに、茨城・仙台に行きました。国宝である大崎八幡宮と、仙台城(青葉城)跡を観て回りました。大崎八幡宮は、青い彩りが印象的でした。仙台では、だるまも青いんですねえ。


ユスタヴァ(撮影:ゆうすけさん)
夏真っ盛りの8月、スタジオアッサンブラージュ東日暮里で行われたケモノ着ぐるみ撮影会「ぽた会」に参加しました。初めてのスタジオ撮影、緊張しっぱなしでした。


迎賓館赤坂離宮の裏側(撮影:豅リリョウ)
両親といっしょに東京スカイツリー(墨田区)と迎賓館赤坂離宮(港区)に行きました。迎賓館赤坂離宮は、今年の4月に一般公開が実現したタイムリーなスポットです。


上賀茂神社(賀茂別雷神社)細殿前の立砂(撮影:豅リリョウ)
愛鋼熊さんや雪降らないかなさんをはじめとした京都・大阪の友人を訪ねに、秋ごろに関西を旅行しました。京都ではいろいろな場所に行きましたが、トピックは上賀茂神社、次点で都路里ですね。
大阪では、国立民族学博物館などに行きました。


オーシャンスタジアムでジャンプをするシャチ(撮影:豅リリョウ)
小学生の頃からの友人といっしょに、車で千葉・鴨川にある鴨川シーワールドに行きました。やっと会うことができた!


2016年は……確かに自分の部屋にこもっている時間が長かったと思います。ですが、何も得られなかったわけでもないようです。少なくとも、浪人時代の私よりかは生き生きした一年でした。
来年の2017年は、この一休止で得たエネルギーをばねにして、できることをできる限りやっていきたいなあと思います。皆さん、よいお年を。

2016年5月7日土曜日

『ズートピア』を観る前/観た後に思ったこと

ケモノ好きの友人や知人が続々と「ズートピアはいいぞ」発言をするたびに、私は一種の強迫観念を強めていきました。あのディズニーが、ここに来て擬人化動物活劇に真正面から取り組んだというちょっとした衝撃。普段は映画をほとんど嗜んでいないとはいえ、JMoF2016での発表やFurry研究会(次回は2016年5月21日開催)を通じて、「ケモノを大真面目に語ってみよう」と呼びかけ始めた私として、さすがにこの作品は観ておかないといけないんじゃあないか?自分の意見を持っておかないと、場合によっては示しがつかないんじゃあないか?――そんな強迫観念が、私を数年ぶりに映画館へと駆り立てました。正直な話、観る直前は少し肩がこわばっていました(苦笑)。

たいへんスマートな作品でした。そんなに緊張する必要もなかったですね。その場その場の軽快かつ密度の濃いキャラクター描写は、さすがディズニーだと驚嘆しました。2時間の上映時間があっという間で、ファンの間で「ジュディとニックの後日譚を観てみたい」などの欲求が湧いてくるのもうなずけます。はい、「ズートピアはいいぞ」……と言う前に、上記のとおり自分の意見の用意のため(私って小心者だなあと思いました)、この映画を観て思った個人的な感想を以下にまとめました。一部にネタバレを含みますので、できれば映画鑑賞後にお読みいただければと思います。

「ズートピアはいいぞ」と言わざるを得ない事情


『ズートピア』には無駄なカットがいっさいないと言っても過言ではないと考えています。注目すべき発言や注目すべきアイテムは、それぞれいいタイミングで導入されて劇中で繰り返し使用されるため、考える隙を与えません。「ズートピア」に映し出されるさまざまなカットが、全体的に知恵の輪のようにガッチリと組み合わさっているのです。

探偵もの/バディものの物語として必要なステップ(相互理解、離合集散など)が揃っていて、しかも必要最小限のステップ数に留めています。特に、ジュディがニックをニンジンペンの録音機能で捜査に協力するようハメるシーンから、「野性」化したマンチャスとジュディの存在を快く思わないボゴ署長から逃げおおせた2人がロープウェーで心を通わせるシーンまで、1日も経っていないにも関わらずニックはジュディに自身のトラウマを打ち明けていました。

エッセンシャルな要素だけを抽出して段取り良く描写していくさまは、いわば完成度の高い小論文といったところでしょうか。こうした無駄のなさは、抽出のしにくさの裏返しともいえます。全体的な完成度が高いほど、ネタバレをせずに作品を紹介することが難しくなり、結果「ズートピアはいいぞ」という決まり文句に帰結するのではと感じました。「いいぞ」という表現に対して閉嘴して(黙って)でも「いいぞ」と言いたいのは、オフでその楽しいエクスペリエンスを仲間とともに分かち合いたいという純粋な心の表れだと勝手に解釈しています。

ちなみに、「「ズートピアはいいぞ」と言わしめているファクターは、完成度の高さ」というのは、観る前に私が予測していたものです。

『ズートピア』は社会諷刺映画なのか?


多くの人が『ズートピア』に高評価を与えています。特に、「単なる冒険活劇に留まらず、現代社会にはびこる「ナチュラルな差別」に肉薄した傑作だ」という論説が目立っているように思います。だからこそ私は観る前に緊張していました。単なる映画ではないのなら、身を引き締めて刮目しなければならないと……。

単なる強迫観念だったと今は思います。上記のとおり、無駄がないので話がすっと頭の中に入り、ジュディとニックがテンポよく面白おかしく物語を進行していきましたから、観終わった後は濃密なエンターテインメントに浸った充足感でいっぱいになっていました。

もちろん、身の回りにあるのに気づかない差別や偏見はキーワードの1つではあると思いますが、『ズートピア』の物語の主軸はあくまでジュディとニックの成長物語にあります。もし、私と同じような観念を持っていたら、ディズニーはエンターテインメントを裏切っていない、探偵もの/バディものとして完成度の高い映画なので、そこまで心配する必要はないですよとお伝えしたいです。

ある意味、昨今大ヒットを記録している『Undertale』と似たようなものがあるのかもしれません。

擬人化動物の自由度レベルについて


どのキャラクターにどの種の動物を当てはめるかは、言わずもがな重要だとわかるでしょう。動物種それぞれに対して社会通俗的なイメージが少なからずあり、このイメージをうまくハンドリングすることによってキャラクターをさらに特徴づけることができます。

詐欺師のニックにはキツネを、ズートピア市長にはライオンを、警官には勇ましく大きな動物種を、陸運局(DMV)の係員にはナマケモノを(DMVの事務手続きの遅さの諷刺)……などなど、それぞれの役どころにぴったりなイメージを持った動物種を当てはめていった感じがします。

私は映画を観る前、こうしたセオリー通りの配役を知って、ほんの少しだけ落胆していました。差別や偏見といった既成概念について物語を作るなら、なぜその動物のイメージを超えた配役にできなかったのか?人格の諷刺のための擬人化の域を出ておらず、動物に関する既成概念の力をただ借りたキャラクターなのか?私はディズニーに対して、ディズニーの擬人化動物の自由度レベルにはまだ限界がある、と思っていました。

映画を観た後にその考えを改めました。ズートピアがバディの成長物語のために用意された世界だと解釈すれば、肉食動物バーサス草食動物という誰もが知っている二分律だけで事件のバックグラウンドを構成できます。副次的なテーマは確かにこれですが、あくまで主軸はジュディとニックにあるので、わかりやすさ重視で選んだものと感じました。

さらに言えば、特にガゼルとニックはズートピアにおいて超次元的な存在です。音楽に関わる人はなぜ社会に先立って開放的な考え方を持っているのでしょうか?ガゼルはインタビューで「多様性(diversity)」という単語を口にしますが、おそらく哲学的な意味ではなく、純粋な彼女の立場表明であったように思いました。ニックはさらに進んで、もはやキツネである必要がないくらいの境地に立っているようでした。幼い頃のトラウマとジュディとの関係だけが、彼をキツネたらしめていると感じました。

何を言いたいのかまとめると、ディズニーの擬人化動物の自由度レベルは想像以上に高かったです。トラディショナル(伝統的)な擬人化動物も、コンテンポラリー(共時的)な擬人化動物も、ディズニーは高い品質で描出できます。

ジュディの記者会見の衝撃


私が最も印象に残ったシーンはジュディの記者会見です。ジュディが掴んでいる「事実」に基づき、肉食動物には元来凶暴性が備わっていると発言してしまい、絶望したニックが彼女の許を去るという場面ですね。ジュディの成長ステップとして、バディの成立過程として、探偵もの/バディものの物語のプロットとして、「ナチュラルな差別」を加味しつつありありと描いていました。

特に市長の逮捕は、「ライオンの地位を落とした」という意味で上記の擬人化動物の自由度レベルの高さを示しています。原案はライオンでなくてもよかったが、あえてライオンを起用したのではないか?と勘ぐってしまうくらい、私は感動していました。

『ズートピア』は、今まで再三述べてきたように(哲学的な)多様性や「ナチュラルな差別」を語ることを主軸に置いているわけではなく、それらに対する教訓を交えつつ私たちを楽しませてくれる探偵もの/バディもののエンターテインメントだと思います。ただ、「ナチュラルな差別」に対する敏感度は人によって異なるので、気が付いていたり気にしていたりする人にとってはその面が大きく目に映るはずです。それ故に、「単なる冒険活劇に留まらず、現代社会にはびこる「ナチュラルな差別」に肉薄した傑作だ」という論説が多くなされているのだと考えています。

敏感度の共有は難しいですが、このシーンはそうした「ナチュラルな差別」を端的にわかりやすく描いているので、気づくための最初のとっかかりとして多くの人に注目していただきたいと思います。

テンポの良さに隠された素朴な疑問


「「ズートピアはいいぞ」と言わざるを得ない事情」で、『ズートピア』の完成度の高さについて指摘しました。こうした無駄のない構成は、逆にいえば多くの無駄――やんわりと言えば多くのトリビアを排しているとも言えます。

たとえば、熱帯雨林地区(レインフォレスト)や氷雪地区(ツンドラ・タウン)などでの暮らしぶりは、ジュディが上京(上ズートピア?)するオープニングシーンに一瞬映るだけで、映画鑑賞中にそうした住民の生活感を肌で感じることはできていません。

新米警官のジュディを目の敵にしていたボゴ署長の改心もわかりにくいです。ボゴ署長がガゼルのアプリで遊んでいるシーン、彼に対して圧力をかけてきたレオドア・ライオンハート市長の辞職、ジュディが約束通り失踪した住民を発見、以上3点がきっかけで彼女に対する目線が変わったのだろうとは思いますが、改心そのものの描写はなかったです。

個人的に一番の謎は、ズートピアっ子(なんて呼べばいいのでしょう……?)を「野性」化させる「夜の遠吠え」の存在です。バニーバロウの農園で、「夜の遠吠え」は虫除けとして使用できることと、肉食・草食の区別なく食べた者は凶暴化することが判明しましたが、その危険性がなぜズートピアっ子に認知されていなかったのかが疑問です。もちろん、「野性」化のメカニズムも気になるところではありますが。

極論を言えば、ズートピアはジュディとニックそれぞれの成長と、バディの成立過程のストーリーテリングのためだけに用意された世界のようだとも感じました。

「Zootopia」を「ズートピア」としたこと


映画のタイトルが街の名前である「Zootopia」であるからして、多くの人はおそらく「街のあり方を問う物語」だと想像するのではと思います。そのテーマも確かに含まれていましたが、実際には主軸はあくまでジュディとニックの2人にあると感じました。

ですから、ある意味日本でタイトルが変更されなかったことが不思議です。『ジュディと詐欺師』になっていてもおかしくなかったのでは……(笑)

上記のとおり「ナチュラルな差別」について端的に描いているので、原題からしてズレているとは思っていません。ただ、ストーリーラインを完璧にするあまり、描かれなかった「知りたかった無駄(トリビア)」が多く残ってしまったことが、タイトルに鑑みて物足りなさを感じます。

映画館で私のすぐ後ろに座っていた2人組の女性が鑑賞後、「すごく良かったんだけど、とても惜しいよね」と話していましたが、私もそういう意味では賛同します。

最後に、いままで述べてきたことを短くまとめます。
  • 『ズートピア』はスマートな探偵もの/バディものエンターテインメント作品
  • ディズニーの擬人化動物はもう過去のものではない(特に「ジュディの記者会見」は必見)
  • 『ズートピア』だけではズートピアのことがわからない

2016年1月12日火曜日

JMoF2016を振り返る

JMoF2016~未知との遭遇~に、スタッフとして参加しました。スタッフとしては2回目、JMoFには3回目の参加でした。その回ごとにたいせつな思い出がありますが、今回は手記を残しておこうと思い、ざっと文章で振り返ってみました。

【2015年9月~前々日】

SNS(Facebook、Google+、Tumblr)担当として、公式ウェブサイトなどで発表された情報を海外向けに再構成して投稿していました。投稿した記事は約4ヶ月間で30+本程度ですが、3種類のSNSを同時に更新したので実質100+本の記事を私の手で投稿したことになります。

Twitterと異なり文字数の制限がほぼないに等しいため、可能な限り内容の具体化やキャッチーな表現を取り入れることに力を注ぎました。その甲斐あってかどうかはわかりませんが、特にFacebookでは160+いいね!を達成(2016年1月上旬時点)するなど、想像以上の広告効果があったように思います。

いっぽう、Google+とTumblrでは思った以上の広告効果はなかったように見受けられました。また、担当が別になっていたTwitterとの連携も難があり、作業合理化の必要性を感じています。

当初の目標だった「海外からの参加者を30+人にする」は事前参加登録の段階で達成しました。SNSの効果というよりは、前年参加者の口コミやスタッフの海外遠征が実を結んだ結果だと考えています。

【前日】

ユスタヴァは結局2015年中に完成しませんでした。毎朝出勤する前に彼の目の前で何度も口約束をしましたが、破ってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。今年こそは計画立ててユスタヴァの完成に取り組みます。

ユスタヴァは設定上被毛竜ではないのですが、いまの手持ちの素材で完成を目指します。ヘッドと手のリメイクと翼の制作が残っています。いつまでもハゲのままにはしません!

豊橋への移動は前年同様、新幹線のグリーン車の進行方向一番後ろの席に座りました。おそらく普通席でも問題ないと思いますが、どうしてもユスタヴァのことが気にかかってしまい、いまだに試していません。

チェックインを済ませて部屋に着いた後、荷物整理をして眠りにつきました。

【1日目】

JMoFプランの朝食(ホールD)は2日目からで、この日は1Fにあるレストランで朝食を取りました。午前中は公募企画「ケモナー論文公聴会」の発表内容を再確認し、どのようなスライドを作れば効果的なプレゼンができるか考えていました。

お昼過ぎにはさっそく現地に到着していたスタッフの招集がかかり、搬入の手伝いや会場の設営を手伝っていました。空き時間には、当日のタスクとなっていた英語版Twitterの更新のため、和文英訳に勤しんでいました。

開会後、さっそく私はさとみさんとNoiseさんが司会の「道徳の時間」に参加しました。ケモノ界隈の諸問題について、face to faceで議論を試みる企画でした。

1. 誹謗・中傷をしない
2. 他人の意見を否定しない
3. 自分のことは棚に上げる(!)

上記のルールのもと、「ケモノと性のイメージが一般に広まったとき、ケモノ界隈はどういう影響を被るか?」と「ケモノ界隈が今後も存続していくために何ができるか?」について、参席者が自分の意見を述べ合いました。

前者:この問題について普通に話し合えば、おそらくネガティブな意見しかでないと思います。キュレーターのNoiseさんの助言もあり、私は敢えてポジティブな立場で考えて意見を述べさせてもらいました。「欧米でFurryが世の中に認知されるきっかけを作ったのはケモノ=性のイメージだったので、日本でもそれを推し進めれば認知度が高まる」という、かなり乱暴な意見です(自分でも思います)。欧米ではその後、今回の「道徳の時間」のような取り組みがたくさん行なわれるようになり、いまではほとんどのメディアがFurryのポジティブな面を取り上げるようになりました。

後者:最後の最後で持論を述べさせてもらいました。「ケモノ界隈外との接点をもっと作り出し、社会にコミットしていくことで自分たちの文化を守る」という持論です。自助努力ですべてがよい状態になるのが理想ですが、実際には難しいです。問題はかならず発生し、その対処や責任を果たす瞬間がかならず訪れます。このとき、自助努力にプラスして外部の信頼があればいいなあと思っています。たとえば今回のチャリティーはもちろん動植物やその事業に携わる人々の支援のためですが、私たちが社会をよりよくするポジティブな団体であることを内外に印象付ける機能も少なからずあります。人によっては汚い話だなあと感じるかもしれませんが、社会に参画することで社会的地位を維持することは存続にかなり重要です。

こうした対面での議論は、匿名空間での議論と機能が異なると考えています。対面の議論でできることのほとんどは匿名空間の議論でも実現可能ではありますが、項目ごとに難易度が違う……という意味です。今後もこうした時間を通じて、自分たちのことを客観的に見つめ直し、何ができるのかを考える取り組みをしていければなあと思いました。

【2日目】

午前中、ユスタヴァを召喚しました。ガルテラ(※)といっしょにホールロビーをまわり、1~数年ぶりの再開(2匹ともレアキャラになってしまいました……)を噛み締めていました。
※らるさんのキャラクター

午後はほぼスタッフ仕事に徹しました。特に今回のサタデーナイトフィーバーは業者がやったのかと思うくらいにスケールが大きく、その準備にたいへんな時間を要しました。すからさん・龍我さんやNoiseさん、七輝さんやレオナさん、DJのつばきさんやぶいさん、ホテルの担当者の方々、その他手伝ったすべての人の血と涙の結晶……とまでいうと少し言いすぎかもしれませんが、とにかくたいへんだった分すばらしいクラブステージができあがりました。

撤収・翌日の用意にも時間がかかってしまい、日を跨ぐ作業となってしまいました。その合間を縫って、翌日に控えた「ケモナー論文公聴会」用のスライドも作成していました。この日の午後を境に、私は裏手側にほぼ徹することになりました。

【3日目】

朝のTwitter更新(この日は日本語も担当)を終えた後にNoise Studioにかけこみましたが、人(獣)が混んでいて時間がかかり、公募企画の開始時刻に間に合わなくなりそうになったので、撮影を断念しました。ファストパスを得ていれば対処のできたことだっただけに、今回いちばん悔やんでいます。

その代わり、台湾の刃(龍龍さん)のお目に留まり、ものすごいテンションで名刺を交換したことが今回(企画以外で)いちばん印象に残っています。どらぐさんのシスにも挨拶ができたので、この日の交流はとてもよかったです。

さて、肝心の「ケモナー論文公聴会」ですが、想像以上の手ごたえを感じています。ステージショーに時間がかぶっているにもかかわらず、用意した15脚が足りなくなって立ち見ができてしまうほどの入りでした。まんぐくんが近現代(とりわけ現代)の動物と愛について全般的に語り、私が古代~近世におけるヨーロッパの動物観の変遷について語りました。最後には拍手喝采が起き、逆にこちらが感動していました。

まんぐくんの発表内容は、現代の愛の複雑性に丹念に迫るような内容でした。広く浅く、世の中の動きがわかるような解説をはさみながら、まんぐくんは解説をしていました。ひじょうに興味深く聞かせてもらいました。

私の話した内容は、「古代~中世の動物の擬人化と、近世~現代の動物の擬人化の違い」のとっかかりを得られるよう、「愛」という概念をあえて使ってヨーロッパ史を紐解き、説明しました。「人間中心主義」の説明がたどたどしくなってしまったことが心残りですが、言いたいことは伝わったかなあと勝手に思っています。

その後、しばらくつばきさんやユックさん、こまこまさんやルカさんと話をしていました。前述のとおり手ごたえを感じているので、こうした活動を何かしらの形で今後も継続していきたいと考えています。今回はまんぐくんと私が発表しましたが、次回があればぜひ他の方にも発表していただけないかなあと考えています。逆に参加者の方々からは、小学校の自由研究(個人研究をしたものを紙にまとめて掲示する)や高校の部活動の部誌(個人研究をしたものを小冊子にまとめて刊行する)のような活動もできれば面白いのではという意見もいただきました。

デッドドッグパーティー中は、ステージとNoise Studioの撤収作業を手伝っていました。結局時間内に終えることができず、NoiseさんとHilockさん、OTKさんで裏でさびしくソフトドリンクで乾杯していました。来年はぜったいにぱーてぃーぴーぽーになるぞ……(涙)

【4日目】

バレットタイム撮影のブース解体作業を手伝った後、ホテルの担当者にスタッフ総出でお礼と挨拶をしました。シャトルバスに乗り、豊橋から新幹線。あっという間に東京に戻ってきました。

【5日目~】

JMoF2016は閉会しましたが、私にはまだやることが残っています。次回、JMoF2017~豊橋サスペンス劇場~をよりよくするためのフィードバックですね。これが終われば、私の中のJMoF2016は本当の意味で閉会します。

もちろん他にもやるべきことがあります。2016年の(私生活での)目標を達成することです。
①完全なユスタヴァを誕生日(9月25日)までに召喚する
②来年のJMoFで行なう、ケモノ×学問の活動を立案・実行する
③旅行(イベント参加オンリーではない)を2回する
絵を描いたり曲を作ったりしたい気持ちはやまやまありますが、今年は目標をしぼろうと思います。

2016年もどうぞ、よろしくお願いいたします。