2013年4月7日日曜日

Zum Gesellschaftsdrachen

去る三月、遂にボクも大学から巣立ちました。浪人生活を含めこの五年間、ボクの気持ちの持ち方や、物事の考え方、そして人生の捉え方は、たいへん目まぐるしく変化したように振り返ります。学苑という、ある程度閉じられた、モラトリアムの延長線上に安住していたのは否めないですが、それでも、思い返せばその当時にはまったく頭に及ばなかったようなことごとに、本当によく触れて、学んでこれたのかなとしみじみ思います。

ボクの大学生活はおそらく、このご時世としてはあまり一般的なものではなかったのではと考えています。受験生時代、日本に「英語帝国主義」の旋風が吹き荒れ、企業はもとより、学生の意識の中すらも、「第二外国語」以降の言語学習についての関心が薄れ、各地の大学からそうした選択肢がかなり取り去られていました。また、ボクの興味の本質である「言語」について学ぼうと思っても、「コミュニケーション重視」の世の中はどこも「語学重視」を提示して、もともと試験勉強が苦手なこともあり、自分にマッチする大学群のほとんどがもはやトップ校で埋め尽くされようとしていました。そんな中で、母校となった大学を見付けられたことは、ささやかな幸運でした。

ただ、マッチしていたとはいえ、その大学も蓋を開けてみればコミュニケーション重視の息がかかっており、在学中にもたとえば言語学の規模縮小や、独語・仏語等を鑑みない英語教育プログラムの優先的増進など、何かと不満を覚えることの耐えない四年間でした。それでも、これは逆に、自分が「興味がない」といって避けてきたものを獲得するチャンスだと自分を奮い立たせ、そうしたトレーニング・プログラムもできる範囲で積極的に参加しました。どんなに頑張ったとしても、とどのつまり、意思疎通のとれない言語は死んでいるというほかありませんからね。その重要性を認知し、取り組んだというわけであります。

また、大学側の指示を何度もスルーしたことも、ボクをアウトサイダーたらしめる原因となったことと存じます(苦笑) 二回生のとき、勝手に英語クラスに割り当てられていたことを学生課に問い質したことがありますが、それはボクの通知見落としが原因であったので、担当の教授にアポを取り、聴講生 (単位としては認められない) としてフランス語の講義を受けました。また、三回生後期、ほとんどの人が卒業論文準備ゼミに参加していたところ、ボクは悠々と就職活動もせずに過ごしており、四回生の直前になって卒業論文指導教授探しを始め、いろんな教授・准教授と話をしたことは記憶に新しいです。

手掛けた卒業論文も所属学部学科としては破天荒なものでした。欧州について学問する学科に所属していながら、研究領域はほぼ英米で、しかもサブカルチャー論。そんな論文が書けるのも、日本の学部生卒業論文が、単なる通過儀礼にすぎないものが多く、どこにも発表されないままにプライバシーの観点から数年後に破棄されるような、継承されないいわば「学部生の好奇心のゴミ箱」となっているからこそ、逆に社会的地位や期待にしばられた有識者や学者の触れられない領域にチャレンジできるからです。そんな論文を指導してくださったボクの指導教授には、感謝の念が耐えません。

さて、大学院に進学する意向はなかったため、卒業論文を提出してから就職活動をはじめました。この点も時代に抗っている感がありますね……ただこれも運良く、なんと二週間で決着がつきました。大学卒としては、世間一般の待遇とそぐわないかもしれませんが、それでも得るものは多いし、大きいと考え、今期よりある会社で働いております。

というわけで、学問竜 (Wissenschaftsdrache) は、社会竜 (Gesellschaftsdrache) になりました。これに伴い、サイト名を変更……は、致しません(笑) 今後もどうぞ、学問竜ならびに豅リリョウを、宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

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動画紹介コーナー、今回はペーター・マッファイの『大人になんかなりたくなかった』


Irgendwo tief in mir bin ich ein Kind geblieben.
心のどこか深くで、ボクは子供のままでいる
Erst dann, wenn ich es nicht mehr spüren kann,
それを見失ってしまった、その時になってやっと
weiß ich es ist für mich zu spät,
「遅すぎた」って自分でわかる
zu spät, zu spät.
「遅すぎた」、気付くのが「遅すぎた」って

過去は過去、未来は未来。でも、価値のないものはそうにありません。過ぎ去ってしまった過去、大事なこと、子供のころのことは、忘れないように生きていきたいです。