2009年9月25日金曜日

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遂にボクもこの年齢と成りました。感慨深いです...

◇ ◆ ◇

先週末・今週の初めの土日、ボクの出身高校の文化祭に参加しました。

同じ化学部OBとの間の話で、稔り有る高校生活をリードする「二つの層」、即ち
研究熱心で一般から突出する層・群集を纏め上げ強力な運動をする層が、
その「高校らしさを伝統として受け継ぐ」根拠と成り得る存在である、と言った様な
趣旨の話を後輩が持ち出して下さいました。

成程、コレは縦と横への高校生としての可能性の拡大こそがその「高校らしさ」を生む
原動力にもなるのだな、と思しました。何故なら、此のボクは嘗ての生徒会長、
縦と横を注視する所となるポジションでしたから...

良く考えたものだ、と、後輩の話に感心しては一方の先輩は
それに自分の不甲斐無さを覚えたらしく、此の様な場所に来ると何時も肩を落として帰るものよ、
と冗談交じりに仰っておりました。

◇ ◆ ◇

一つ上の先輩が最近話題のポケットモンスターハートゴールドを絶賛プレイ中でありまして、
プレイ画面を見せて頂くと丁度ルギアさんがるぎゃるぎゃと仰っておりました。

ご存知、果て無き個体値の調整であります。
僅かな確率論にその思いを託して、ひたすらボールを投げては消すのです...
ボクは捕まえて後に連れて行ける事が出来る様になれば満足してしまうヒトですが(笑

最終的には妥協ラインのルギアさんが現れ、娶(めと)られて往きましたとさ。

◇ ◆ ◇

今年で現役時代に接していた後輩は総て卒業する所となり、完全なる同窓会員/部活動OBと
なりまして、こういった類の行事はOB同士が集う為の機会でしか無くなってしまう事となりました。

勿論、寂しい次第であります。ただ、これからも変わらない事に一つ、
こういった場は、後輩から若いエネルギーを得られるという事...
年齢不相応な事の様ですが、実際に感じて来て思った事であります! しゃきっとさせられますって。

2009年9月16日水曜日

アールの妙

今に至るまで、ボクは驪竜(りりょう, 黒色のドラゴン)の独語訳としての
シュヴァルツェドゥラッヘ(Schwarzedrache)を、アカウント名として運用して来ました。

然し先日、この名前に大きな落とし穴がある事に気が付いて、
一部を除いてありとあらゆる該当箇所を訂正するという、極めて不甲斐無い事をしていました。
その理由は以下の通りです。

◇ ◆ ◇

ドイツ語の形容詞は修飾する名詞の性により語尾変化(屈折)します。

シュヴァルツ(schwarz, 黒色の)は、女性名詞に接続する時にシュヴァルツェ(schwarze)に
変化しますが、ドゥラッヘ(Drache, ドラゴン)は、女性名詞で用いられる際に
「ドラゴンの様に気性が荒く、がみがみとうるさい女」と云う意味を持つ事があります。

ボクの意図する「(オスの)驪竜」とする為には、"Schwarzerdrache"にする必要があって、
」が足りていなかったのです。"Schwarzedrache"はおよそ「腹黒がみがみ女」
と云う蔑称と成ってしまうでしょう。その様なネーミングは、流石に居たたまれません >_<;

◇ ◆ ◇

さて、更に此処何時間かで気付いた事を書いてこの話題を締めましょうか。

英語で「黒竜のナガタニ」とカッコ好く言いたい時は"Nagatanj the Blackdragon"とでもしますね。
ドイツ語の場合は、定冠詞を付けると後続の名詞の文法的役割がほぼ決定する為、
"Nagatanj der Schwarzedrache"の様に此処では「」が消失してしまうのです。

デア(der, 男性名詞に付ける定冠詞)の代わりにフォン(von, ~の)を用いると、
それが復活して"Nagatanj von Schwarzerdrache"となりますが、
組み合わせると"Nagatanj von der Schwarzedrache"とする事となります。

なかなかアタマを混乱させてくれるではありませんか... orz

2009年9月11日金曜日

denn die Zeit vergeht oft schneller als du denkst

≪ 君が考えるよりも早く時は過ぎ去ってゆくものだよ ≫

二十一世紀最初の年に起こってしまった、あの悲惨な事件から幾星霜...

かのゴーギャンを前にして雑多な話題など許すまじと、尋常ならざる威圧感を
感じざるに得ませんが、敢えて戯言をば書き綴らんとす!

◇ ◆ ◇

只今、脱稿致しました。即ち、白雉祭向けの部誌に提供する原稿達を執筆するに
当たり、約一ヶ月ものハンディを背負ってしまった事になります。

コミックマーケットを焉えて一体手前は何をしていたのか、と問われれば、
出身高校の文化祭に出展するイラスト研究部のOBとして、OB/OG合同誌向けの
原稿を制作する一件、ニコニコ生放送の或るパーソナリティの依頼で、
或る生放送用のサムネイルイラストレイションを執筆する一件が御座いました。

前者は兵(つわもの)揃いの為に手を抜けず、
後者は確りしたCGイラストを提供する為にお絵描きチャット等で練習を重ねました。

そしてボクに「二重苦」が襲い掛かる訳ですね、了解しております。。。

◇ ◆ ◇

武蔵大学漫画研究会のメンバーとなって凡そ半年、先輩方や同期の皆様方の
作品を眺めている内に、小拙も連載漫画なり構想してみたいものだと
夢想する様になり、コレを打っている現在は漫画に登場させる四獣人(よにん)の
描き分けと性格付けに苦戦している所であります。

此処に到るまでに読み切り型の漫画の執筆を考えていたのですが、
其等の構想達すら総てを内包可能な現実世界的・閉鎖空間的環境を想起するのに
最早一ヶ月掛かっております。そうですね、考える事は好きです。

然し、実体を伴っておりません。

[ 2009 / 09 / 11 更新 ]

2009年9月4日金曜日

D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

≪ 我々は何処から来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか ≫

東京国立近代美術館のゴーギャン展に足を運びました。
ウジェヌ・アンリ・ジャン‐ポル・ゴガン(Eugène Henri Jean-Paul Gauguin)、
通称ゴーギャンは『19世紀末の爛熟した西欧文明に背を向け、
南海の孤島タヒチにひとり向かった画家(配布パンフレットより)』です。

本邦初となる≪ドゥ・ヴノン‐ヌ? ケ・ソンム‐ヌ? ウ・アロン‐ヌ?≫の
公開、平日にも関わらず非常に多くの方々が鑑賞に来ておりました。

印象派との接触から始まった彼の芸術に対する姿勢は、
ヴァン・ホホ(通称ゴッホ)の耳剃り事件をキッカケにポスト印象派へと移行し、
土地に息衝(いきづ)く『野性(配布パンフレットより)』を
描画対象にアインフュールング(感情移入)して、暖色と寒色の単純化された
コントラストによる独特の平面世界を表現する境地に到ります。

全体的には巧みな装飾の施された極太の額縁に収まって落ち着いている様に
見えましたが、此の素朴なコントラストと構図とが相俟って、画面に
不穏な「ゆがみ」が感じられ、そして『緊張感(配布パンフレットより)』が
身体全体に染み渡って来る様な感覚を、鑑賞していて覚えました。

ボクの様な凡人が語るのは此処までです。

ゴーギャンの画家としての孤独の漂泊に基づく彼の心象風景は、
人間の生死やその内面性としての『野性』を常に問い続けた彼の「言葉」で
語られています(言語で絵を説明したくは無いと本人は述べている)から...

少なくとも、彼にとってタヒチが本当の意味での楽園では無かった事が衝撃でした。
ゴーギャンに対する認識を改める、好い機会を頂けたなと思います。

[ 2009 / 09 / 03 更新 ]