2024年2月5日月曜日

豅リリョウ in JMoF 2024

お詫びと謝辞

第10回の開催となったJMoF 2023は、テーマ「Back to the JMoF」を体現するような体験を提供できたと信じているが、いっぽうで、私個人にとっては体力と精神力をほぼ使い果たすような大会となってしまった。

JMoF 2023期、私はJMoF実行委員会の広報班のリーダーとして、ウェブサイトの更新、その他の文書の編集/作成/校正/翻訳/翻訳チェック、お問い合わせの対応、ほかのファーリーコンベンションとの親交、ソーシャルメディアの更新、コンブックの編集、開催当日の広報案件対応、その他のリーダーとしての業務を担当していた。しかし、それらの業務が、私が正常に処理できる許容量をはるかに超えていたことは、誰から見ても明らかだった。

こうした取り組みを自発的に始めたのは2016年~2017年のあたりだったが、そのころの私は退職と再就職を2回繰り返していた。とくに1回目の退職は、精神的に追い込まれてからの退職だったので、再就職するまでに時間がかかった。いま思い返してみれば、その正とも負とも取れない行き場のない活力をJMoF実行委員会の業務に注ぎ込んでいたのかもしれない。そして、そのときに構築したシステムをうまくアップデートすることができなかったので、限界が来たのだと考えられる。

「システムをうまくアップデートすることができなかった」のは、私の責任感を私自身が飼い馴らすことに失敗したためでもある。「なぎゃさんがいなかったらいまのJMoFはなかったよ」とほかのスタッフから讃辞をいただいたとき、自分の仕事に誇りを持つと同時に、「豅の仕事は代替が効かない」という驕(おご)りを抱いていた。ほかのスタッフを疑うという邪念も湧くようになってしまい、自身の至らなさに体力的にも精神的にもすっかり憔悴した。

上記を白状したうえで、この場を借りてお詫びを申し上げたい。

JMoF 2023の開催後、私はほうぼうに相談した上で広報班リーダーを辞した。本業で大量退職と部署再編があって、ワークライフバランスを再調整するのに集中する必要があったこともあるが、たいせつな仲間をこれ以上疑いたくないという気持ちも大いに作用した。だからこそ、広報班リーダーの業務をそのまま引き継ぎをせず、5分割(言語支援班=まんぐさん、問い合わせ・広報渉外班=Mayさん、SNS班=ユータさん、コンブック⇒部署横断プロジェクトに位置づける、その他⇒JMoF実行委員会の総体に委ねる)したうえで、業務の取捨選択をするよう促した。

JMoF 2024は無事に開催された。総参加者数は1,949名、のんほいパークへの寄付総額は3,290,150円と、いずれも歴代最高値を記録した。言語支援、お問い合わせの対応、ほかのファーリーコンベンションとの親交、ソーシャルメディアの更新、コンブックの制作、その他もろもろ、すべてがよく機能していたと私は信じている。リーダーという役職を委嘱させていただいたまんぐさん、Mayさん、ユータさんをはじめ、これらに携わったすべてのスタッフや協力者によるすばらしい成果だと誠心より讃辞を送りたい。

そして、ワークライフバランスの再調整と自己研鑽に時間を充てるため、1年の空白をご容赦いただいたことについて、関係者に改めて深く陳謝を申し上げたい。

年末年始

うるさん、さとみさん、まんぐさん、ばけもさんと私の5名で編集・刊行している、ケモノ/ファーリー文化を論考する同人誌『Philosofur』。2023年9月、けもケット14にて(本誌)第4号を刊行し、号外(extraシリーズ)を含めて9冊を数えるところとなった。2017年1月、JMoF 2017ディーラーズルームにて、共同創立者である狐野俊さんによる序文を添えた創刊号を刊行して以来、6年以上にもわたるこの活動について、私たちの想像以上に評判を呼んでいるようで、嬉しく思うと同時に身の引き締まる思いである。

当誌をお手に取りいただき、《ドラゴン界とケモノ界を横断する雑誌(マガジン)》の創刊を構想していたAINさんより、論考やエッセイの寄稿のお誘いをいただいたのも、まさに僥倖だった。何回か打ち合わせたうえで、創刊号(0號)には私のOC(オリジナルキャラクター)であるユスタヴァについてエッセイを書くことになり、Kemocon14の企画「第2回ケモノ学会」での発表を終えたあとから本格的に執筆を開始した。

コミックマーケット103、ドラゴン創作同人誌を長年手掛けているサークル「Dragonizm」にて委託刊行された『龍と獣』。収載いただいたユスタヴァの立ち絵は、私が新規に描いたものが(畏れ多くも)使われた。肝心の記事は、はんもんのユスタヴァ、ロヒケールメのユスタヴァ、そして着ぐるみのユスタヴァ……それぞれに対する思い出を、豅視点で(わりと赤裸々に)語ったエッセイとなった。やや走り書きのようにはなってしまったものの、後半で「自分の中に複数の物語を持つこと」について言及することができたのが、好感触としてある。

龍と獣

寄稿文・寄稿絵の脱稿後、JMoF 2024ディーラーズルームに出展するPhilosofur編集部のために、これまでに刊行した同人誌や記事を英語で参照できる目録(カタログ)の制作に取り掛かった。テキストの翻訳・編集、レイアウトデータ(InDesign)の作成、印刷・製本をすべて私個人で行い、25部を用意した。表紙には、けもケット14のサークル参加の申し込みで使用するサークルカットのために私が制作した、カラカルとオオワシとシャチとヒトのキメラの絵を流用した。

なお、本カタログの制作は、個人的な動機としては非日本語話者に対するコミュニケーションツールとすることを目的としていたが、7(枚数)×2(両面印刷)×25(部数)=350刷分の紙代ならびにインク代、加えて7(枚数)×25(部数)=175折と2(綴針本数)×25(部数)=50回分の製本作業に鑑みて、いくばくかの売値を設定することにした。

上記の在庫の発送や、移動行程の確認は順序よくできたが、会場に出発する前の荷造りは、いま思い返せばもう少し早くできただろう。着ぐるみを含めた荷物の梱包方法を思い出すのに、かなり時間を掛けてしまった。まんぐさんのライブ放送を拝聴しながら、あれこれと悩んでいるうちに1月4日(金)になって数時間が過ぎてしまったので、「えいや」の心境で荷造りを終えてすぐに床に就いた。

1日目

朝4時ごろに起床し、身支度を済ませて6時には出発した。今回の往路は、数年振りに車での移動となった。ハイエースを借りた友人と待ち合って同乗し、高速道路をひたすら西走。車のハンドルを繰っていただいている恩誼に報いたく、同乗者の希望だった静岡県のローカルグルメチェーン、炭焼きレストランさわやかに逗留。定番のげんこつハンバーグをこれまた数年振りに賞味したのち、ハイエースに戻ってさらに西走した。会場のロワジールホテル豊橋には、昼13時を過ぎての到着となった。

ルームキー一式を受け取って宿泊室に荷物を運び込み、着ぐるみやその小物類をある程度荷解きしてから、スタッフ控え室(桃の間)に向かった。その場にいたスタッフに挨拶をしてしばらくすると、楓の間/椛の間の会場設営について応援の要請があり、さっそく向かった。椛の間は今回、姫川明輝先生による回顧展「姫川明輝 アニマルヒストリー展」の会場となっていた。有孔パネルを一通り組み立てたあと、しばらくして先生方がお見えになったのでZuilangさんとともにお伺いすると、展示の導線について相談を受けたので、丸テーブルを置いて鑑賞者の行動を限定することを提案したら、思いがけずそれが通った。ほか、有孔パネルの位置調整に一通り協力して、会釈をしてその場を去った。

開会式の様子はソーシャルメディアを通じて知った。つかれた犬さんとのコラボレーション、実は私もそのときに初めて知ったので、素で驚いた。例年、閉会式に比べて開会式の内容はどうしても地味になりがち(とはいえ、大会参加における注意事項やその他の連絡事項を伝える場である)だったので、このような新しい取り組みを企画/実行したスタッフにグッドボタンを押した次第である。

海外参加者による海外参加者のための講演企画「JMoF First-Timers Guide and International Meet!(JMoF初参加者向けガイド&国際交流会)」。会場の菊の間・藤の間に赴いてみると立ち見がいるほどの盛況振りで、尻込みした私はドアマンの振りをしてしばらく壁越しに聴講した(最終的には部屋の中に入ってお話を拝聴した)。

登壇者、Pineappleさんによる発表の内容は終始興味深く、面白かった。CoCo壱番屋やドン・キホーテなどは海外でもよく知られていることは把握していたが、「-196°C ストロングゼロ」からの「ウコンの力」紹介(称讃)はさすがに笑いを禁じ得なかった。JMoFの紹介というよりは、日本人が持つシャイな気質へのアプローチ方法や、日本に来たらDo/Goするべき物事の紹介の方がメインだった。

私には、この企画に参加する理由がもう一つあった。私はDuolingoで毎日数分だけでもドイツ語に触れる習慣(ただし、2023年現在、日本語話者向けのドイツ語コースは未開講なので、英語話者向けのドイツ語コースを受講している)を続けている。2023年11月末、ドイツ人ファーリー、InoxさんからTelegram経由でダイレクトメッセージを受け取り、私を「Duolingoで見つけた。現在、日本語を学習中である」とのこと。訊いてみれば、JMoF 2024に参加するとのことで、「現地で会いましょう」と返事を書いた。

ただ、この日はお声掛けする勇気を出せなかった。Inoxさんがここに来ていることを目視確認しただけで、会場を後にしてしまった。Inoxさんにはダイレクトメッセージで率直な気持ちを伝えたうえで、ローソンストア100に立ち寄って菓子パンなどを買って宿泊室に戻り、気持ちを落ち着かせてから就寝した。

2日目

朝6時ごろに起床。身支度を済ませて、7時~8時にフォーシーズンズで朝食を摂った。ちなみに、ロワジールホテル豊橋における私の朝食は、デニッシュ(パン)、ベーコンやソーセージ、玉子焼き、葉っぱもの中心のサラダ、フルーツポンチとヨーグルト(砂糖抜き)、牛乳とコーヒーでほぼ決めている(写真はそれぞれ2日目、3日目、撤収日の朝食)。


9時のスタッフ朝礼に参加したあと、すぐ宿泊室に戻った。着ぐるみ撮影ブース(IMAGESTUDIO Noise)の10時半ごろのファストパスを予約していた私は、40分ほど掛けて1年振りにユスタヴァ着ぐるみを着用した。JMoF 2023ディーラーズルームにて、四つ足カルテット(OSHIGEさん)で購入した恐竜柄のストールバンダナも、ぶっつけ本番で身に着けた。

私はあまりグリーティングに興味がない(申し訳ない)ので、足早に着ぐるみ撮影ブースに直行した。着ぐるみ撮影ブース担当のボランティアに参加証を見せようとしたら、その相手が和製パスタさんだったので驚いた(数年振りにお会いした)。今回はブースに姿見(鏡)が用意されており、着ぐるみの状態を確認するのに大いに役立った。フォトグラファーのNoiseさんにお声掛けいただき、撮影に臨んだ私は、1万円超したというECTO-1の模型を踏み潰さんとするアングル(豅指定)と、Noiseさんに一から百までお任せしたアングルの2セットを回していただいた。

撮影を終え、一目散に宿泊室に戻った私は着ぐるみを脱ぎ、ユスタヴァに感謝しながら軽くアフターケアを施した。軽くシャワーを浴びて汗を流したあと、菊の間・藤の間で実施されていたケモノストーリーミーティングに顔を出した。「ケモノ文学」を銘打って文芸同人誌を刊行している獣文連(けもぶんれん)が主催したこの会では、事前に投稿した作品についてかんたんな論評を行うレビュー企画、小説を執筆するためのノウハウを共有する講座企画、その場で応募されたアイデアをもとに即興で小説を認める(!?)企画が催され、熱の籠もったお話が展開されていた。

スタッフ控え室で待機していると、Inoxさんからランチのお誘いをいただき、幸運にも面と向かってお話をする機会を得た。同じくドイツ人ファーリーのKatzeeさんも同行して、ドン・キホーテのフードコートに赴いた。Inoxさんと私はフジヤマ55で、Katzeeさんはスパゲッ亭チャオJr.で注文。ゆっくりと昼食を摂りながら、英語(少しだけドイツ語)で談笑した。

  • Tabaluga(Peter Maffay)が通じた。『Das Nibelungenlied(ニーベルンゲンの歌)』の話もしてみたが、私についてだいぶ古臭い印象をお持ちになったかもしれない。
  • 大学でドイツ語を勉強し始めたとき、「I have a bird.」をドイツ語で言おうとして……というエピソードトークをしてみたら、ウケた(「Ich habe einen Vogel.」は「私は気狂いです」という意味)。

実際に話してみて、フレーズトークや文法はまだまだ滅茶苦茶だが、前回と比較すれば少し英語での表現力が上がっている実感を得た。ドイツ語については、やはり話すのはかなわなかったが、聞くのはそれなりにできた感触を得た。

スタッフ控え室に戻って(本来の昼食であった)弁当を食べていると、今回の宿泊同室者のうるさんから会場到着との連絡あり。合流してスペアのルームキーを渡し、宿泊室に荷物を運び入れた。その後、開室していた「姫川明輝 アニマルヒストリー展」を鑑賞した。

動物やケモノを主題とする姫川明輝作品について、アマチュア時代(1981年)から現在にいたるまでの軌跡を一望できた本展示。かつて「やわらかいもの」として隅に追いやられていた動物創作、プロデビュー後もなかなか思うように描けず、試行錯誤を繰り返しながら果敢にアプローチを続けていた。潮目が変わるのは90年代~ゼロ年代にかけてで、『ゼルダの伝説』シリーズのコミカライズにおけるオリジナルストーリーの展開や、コミックマーケットにおけるケモノ島の出現(ならびにケモノオンリーイベントの出現)など、先生自身の努力が結実するとともに、同人界(さらには出版業界)の環境も変化していった。機運を得て、よりアニマルアートに注力するようになった先生方の今後ますますのご活躍、『竜は黄昏の夢を見る』のパネルを購入して、少しばかりの応援を行った(この時点では予約のみ行い、翌日の閉室間際に先生直筆のサインをいただいたうえで購入、お引き取りした)。

ホリデイホールに移動し、GoH Talk Showに参加した。今回のゲストオブオナー(名誉ゲスト)は、村山竜大先生。先生の仕事紹介の段では、『Fate/Grand Order』、『天穂のサクナヒメ』、『聖剣伝説3』の(未公開を含む)デザイン設定画がスライドに表示された(事前に関係各社に許可取りをしたとのこと)。Further Confusionに参加経験があり、そこで着ぐるみも着たことがあるとのことで、『Dragonizm』に寄稿していたこと以外で動物創作同人に関わりを持っていることを知らなかった私は驚いた。

ここで、件のX(旧Twitter)での不審な投稿について対応することを迫られた。スタッフ控え室に駆け入り、情報を整理したうえでエスカレーションを行った。

「Trip Fur -PHANTOM-」の時間帯はConOpsのシフトに入った。18時~22時の4時間のシフトだったが、まだ体力が残っていたのでなんとかなった。ConOpsは、受付・販売班とボランティア・警備班の当日業務の負担を減らすべく導入された、コンベンションの総合窓口的存在。とはいえ、初導入にあって施策も手探りだったため、この役回りが次回以降ちゃんと機能していくようなフィードバックを要請されているように感じている。

深夜に招集がかかり、スタッフ控え室に集合。荷物検査の実施を受け、シフト表に自分の名前を入れてもらった。

3日目

朝6時ごろに起床。身支度を済ませて、7時~8時にうるさんと一緒にフォーシーズンズで朝食を摂った。9時のスタッフ朝礼に参加したあと、ディーラーズルームの設営に入った。

しばらくして、「(非公式に)Philosofur の感想を共有する会」に途中参加。匿名の感想フォーム(Googleフォーム)を介して、参加者が事前に~その場で『Philosofur』の感想を投稿し、司会のからくるとさんがその内容を読み上げてから、参加者を含めてさらにコメントを重ねていくような進行だった。同時に、会場では『Philosofur』の既刊(からくるとさん所有)が回覧されていた。

『Philosofur extra 5』で特集したファーソナについて、参加者の中でも「いる」方と「いない」方がいらっしゃり、ケモノに対する多様な態度が改めて共有されていた。『Philosofur 4』収載の拙稿で言及した「よいファーリー」については、ファンダムと一般社会とのあいだにどのような「距離感」を持つべきか、それぞれの意見が交わされた。そのほかにもさまざまな感想が寄せられ、編集の一人としてたいへん感慨深い時間だった。

また、光栄なことに、企画終了後に多くの方々と名刺・意見交換ができた。きぐるみ花月の月餅さん・ケイシさんのご両名、映画・アニメ研究のどんぐりさん、VR研究のあしやまさんより身に余るお言葉をいただき、『Philosofur』を通じたケモノ文化の発信により真摯に取り組まなければ……と、気持ちを新たにした。

正午より、荷物検査のシフトに入った。ディーラーズルームの入場やラッフル抽せん会の入場のピーク時はとくに休むいとまがなく、コロナ禍の残る中で開催されたJMoF 2022での入口対応が想起された。シフトは1時間だったが、人手が足りないと感じたので延長した。頃合いを見てシフトを外れ、「けもなーじゆうけんきゅう #3」に途中参加。

企画終了後、登壇者の柚子水さんとしそじろうさんとにご挨拶した。そうこうしているうちにディーラーズルームの閉室時間ギリギリになってしまったので、足早にホリデイホールに戻り、撤収作業を行ったあと、うるさんと二人でびっくりドンキーに赴き、晩い昼食を摂った。今回はディーラーズルームにほとんど顔を出すことがかなわず、買い物はおろかウィンドウショッピングすらできなかったことが悔やまれる。ほぼひとりでブースを切り盛りいただいたうるさんに、この場を借りてお礼を申し上げたい。

デッドドッグパーティーの時間帯はConOpsのシフトに入っていたが、どうしても喧騒が苦手な性分で、情報が多過ぎて疲れ果ててぼうっとしてしまった(福井酒造のお酒だけは買いに行けた)。参加者の皆さんにはたいへん失礼な姿をさらしてしまい、ほんとうに申し訳ない。

撤収日

朝6時半ごろに起床。身支度を済ませて、7時~8時にうるさんと一緒にフォーシーズンズで朝食を摂った。荷造りをほぼ済ませたうえで、9時のスタッフ朝礼に参加したあと、アーティストラウンジ(楓の間)と姫川先生の展示(椛の間)の撤収に協力した。

豊橋駅までうるさんの車に同乗させてもらえることになり、ぽちさんとガチマグロさんとも同乗してロワジールホテル豊橋を発つ。豊橋駅北口で下車し、うるさんとぽちさんに手を振った。ガチマグロさんと豊橋駅ビル カルミア地下1階の三河開化亭に入り、豊橋産の紫蘇をふんだんに使った餃子といっしょにラーメンを食した。

食後、豊橋駅の東海道新幹線改札に向かったところで、たまたまユータさんとお会いする。1年間、SNS班リーダーとして責務をまっとういただいたことを深々と感謝した。折を見て、ガチマグロさんと共に新幹線に乗り込み、うつらうつらしているうちに東京駅に帰ってきていた。

本年はドラゴン好きの血が騒ぐ辰年。稔り多き年となるよう、邁進してまいりたい。