2021年1月30日土曜日

マーレに捧ぐ

旧年の大晦日、我が家の飼い犬が友達を探しに旅立った。

数年前の元旦に腰を痛めて以来、齢というよりもむしろ老いを深めていった飼い犬。親は還暦を迎えながらも手間を惜しまず、飼い犬と最期まで向き合った。いっぽうの私は、留守のときに面倒を見たり、家にお金を入れたりするくらいで精いっぱいだった。

ある日私が学び舎から家に帰ってくると、リビングに見知らぬ仔犬がいた。雄のアメリカンコッカースパニエルだと紹介された私は、なんで何も言わずに買ってきたんだと子供のように激昂して、それから1週間ほど親と口を利かなかったことを憶えている。当時の私は、動物が好きなのではなく、擬人化動物が好きなのだと不意に気付いてしまい、ショックを受けていた頃だった。もともと偽物だったのかもしれないが、愛が破れたそのときに、仔犬がやってきた。

しばらくして私は、親の気持ちを少しずつ感じ取り、仔犬との距離を少しずつ近付けていった。幸いなことに、その仔は大人しい性格だった。餌のやり方、水の飲ませ方、首輪やリードの付け方を親から教わり、覚束ない手で犬の世話を試みようとする私を、その仔は何も吠えずに待っていてくれた。

いつしかその犬は、私のにおいも覚えてくれていた。この十数年間、散歩をしたり、写真を撮ったり、行事で祝ったりする時間を、飼い犬と家族いっしょに過ごしてきた。内心ではまだ、言葉にできない何かを抱えながらも、飼い犬は屈託のない態度で私にも接してくれた。そして飼い犬は、私の齢をあっと言う間に追い越していった。

旧年の大晦日、私は徹夜の追い込み作業を行っていた。明け方、か細い声が聞こえたような気がしたが、どうしても手が離せなかった。しばらくして、涙をたたえた母が部屋に入ってきた。私は急いでリビングに行った。まだ、ほんのわずか、温もりがあった。

虫がいい話かもしれないが、私には看取るチャンスが与えられていたと思うと、自分の薄情さに虫唾が走る。けっきょく、君の方が明らかに大人だった。

どうか安らかに。