2023年1月31日火曜日

豅リリョウ in JMoF 2023

年末年始

今回のJMoFは1月第1週からの開催のため、年末年始の休業期間に入る前にコンブックを印刷入稿する必要があった。感覚的には、例年より2週間ほど締め切りが早まったようなものである。ただでさえ年末案件で激務となる本業がある中で、ウェブサイトの更新作業、ソーシャルメディア告知の仕込み作業、アンケートの準備などをこなさなければならない時期に、コンブックの印刷入稿が重なった。おのおのの事情から広報班のマンパワーに欠員が発生していたこともあり、作業者レベルから管理者レベルまで筆者のフォローが必要な状態だった。優先度の高いものからとにかく少しずつ崩しつつ、コンブックの印刷入稿の締め切りだけは死守するよう全力を尽くした。

前回のJMoF 2022に引き続き、コンブックはDTPデザイン/オペレーションにいちばさんとレイテさんの2名、編集に霜雪さんと筆者の2名が入って進行した。A5サイズの中綴じ・日英別冊とはせず、JIS B5サイズの無線綴じ・日英同冊とする理由は、やはり印刷費の削減(20〜25万円ほど安くなる)にある。日英併記のレイアウトは版面率が高くなりやすく、可読性を高めるためにサイズアップしている。ただし、A4サイズは避けている。非日本語話者に対して情報アクセシビリティーを確保することは、筆者がJMoF実行委員会に入会して以来至上命令の一つとしているが、この水準で実現してくれた各人には頭が上がらない。

本業では、年始の価格改定の準備で12冊(21バージョン)のカタログを同時に制作進行していた。一方で、台湾の親戚が家族総出で日本を訪れに来てくれていて、年末のうち2日間は大所帯でディナーを嗜んだり、一足早いおせち料理に舌鼓を打ったりした。それ以外に休日といった休日はなく、公開が遅れていた企画紹介の編集になんとかギリギリ区切りをつけ、遅れに遅れていた公式写真の公開を最終チェックをした上で実施し、ソーシャルメディア告知の仕込み作業に追い込みをかけた。なおこの時点では、自身が応募した企画である「クローズアップ広報++」の準備にはまったく手が付けられなかった。

はつもうで

前回のJMoF 2022に、ユスタヴァ(ファースーツ)を連れて行くことができなかった反省から、上記のような多忙の中に荷造りをする時間をねじ込んだ。台湾の親戚からもらった大型トランクケースが優秀で、両足を別にしてすべてが一つに収まった。会場ホテルの回答(事前に問い合わせた)内容に従って事前に会場ホテルに発送した。

1日目

日付が変わった頃合いに、着ぐるみ撮影ブース運営サービス(SELFOTO)のファストパスを予約した。その後はひたすらソーシャルメディア告知の仕込み作業を続けたが、昼過ぎまでかかってようやく仕上がった。最終的に日・英合わせて約380件(最大79,800字、実際には70,000字ほどか)となった。「クローズアップ広報++」の準備は行きの新幹線でやることにして、荷物をまとめて出発。東京駅から新幹線に乗って豊橋駅に向かう道中、なんとか気を奮い立たせようとしたが、生粋の乗り物酔いしやすい体質には無力で、そのほとんどを寝て過ごした。無論、連日作業の疲労蓄積もあっただろう……。

豊橋駅に降り立った後、タイミングの良いことに、すぐに無料シャトルバスに乗車することができた。18時ごろにロワジールホテル豊橋に到着し、スタッフ控え室に赴いて各人に挨拶をした。仕込みをしたソーシャルメディア告知——Twitterの予約投稿状況を確認しつつ、会場内をざっくりと見て回った。途中、企画班からヘルプの要請があったので、機器の運搬とセットアップを手伝った。なお、プロジェクターの照射角度を調整する機構が底面に備え付けられることを知ったのは、2日目の自分の企画が終わった後だった。「Kemono 101: A Fureigner’s Guide」のリズムさんには、その件についてこの場でお詫びしたい。

なお、ホリデイホールロビーのホワイトボードには例年、会場ホテルからのお知らせが貼り出されていたのだが、今回は量が少なく(ホワイトボードのない別の場所に貼り出されているものも多く)、すでにJMoF受付に関する板書が為されていたこともあって、筆者は板書を行わなかった。好きでやっていた訳でもなければ、スタッフ業務としてやっていた訳でもない、やはり非日本語話者に対する情報アクセシビリティーの確保が目的で自主的にやっていた英語による板書だったが、参加者から「今回は書かないのか」と期待する声をいただいたことが感に入っている。

まんぐくんが申し込んでいた企画 「JMoFヒストリー(だったもの)」に参席。滋賀県彦根市のホテルサンルート彦根で初めて開催されたJMoF 2013からちょうど10年、(中止となったJMoF 2021を除いた上で)記念すべき第10回開催となったJMoF 2023で、このような歴史叙述の取り組みが実を結んだことはたいへん喜ばしい。参加者数の推移、実施企画の傾向比較、歴代ビジュアルの紹介——どんなに単純なことでも、歴史は書かなければ残らない。コロナ禍の最中、まんぐくんやZuilangさんが参与してアーカイブされた史料は、私たちがより自分らしく生きるために努めてきた証と言って過言ではないだろう。

私物が史料となる瞬間

自室に戻って荷物を整理した後、夜食を買いに近くのコンビニに行った。ようやく「クローズアップ広報++」の準備に取り掛かった。

2日目

「クローズアップ広報++」の準備は当然間に合わなかった。自分が思い描いていたものとギャップがありすぎて、既存の資料をまとめてプレゼンテーションの進行を段取ること以外にほとんど筆が動かなかった。身支度を済ませ、フォーシーズンズで朝食を摂り、9時にスタッフ朝礼に参加。「クローズアップ広報++」の実施時間が迫っていたため、解散後にすぐ松の間・竹の間に荷物を運んだ。

「クローズアップ広報++」は、筆者がJMoF 2018のときに実施した「クローズアップ広報+」のリバイバル企画。当時はデザインチームも開発チームも撮影チームも広報班に紐付けられていたが、JMoFの開催規模拡大に対応するためにそれぞれが独立した。その結果、現状(JMoF 2023時点)の広報班は言語サービス(編集、翻訳)、アテンディーサービス(問い合わせの総合対応)、ソーシャルメディア運用(Twitter、Facebook、Flickr)、コンブック制作を統括する部署となっている。広告を作る部署(advertising)とも言い切れない、情報戦略の主体(marketing)とも言い切れないこの部署の説明に、今回は90分間という時間を割いていただいた。

結果、時間配分に失敗して不完全燃焼で終わってしまった。言語サービスの重要性について説くことはできたが、実作業について踏み込んだ説明ができなかった。筆者はこの企画を一つの節目としようと考え、すべてを終えるつもりでいたが、こう尻切れ蜻蛉になると「リベンジしたい」と思ってしまうのが不思議だ。

荷物を畳んだ後、「フロートフォーラム」に足を運んだ。設営完了を知らせる告知が筆者のTwitterタイムラインに流れてきて、展示ホールの隅っこにPlushLife製のドラゴンぬいぐるみやオオカミぬいぐるみがあることを知ったので、ぜひとも拝見したいと思って行った。

もへっとしている

今回新設された椛の間(旧ル・マージュ)に設営された、特別企画の一つ「「獣神画展」姫川明輝」に赴き、水墨画の作品群を鑑賞。姫川明輝(本田安桂美)先生の個展に行くのはこれが2回目で、前回は2021年の京都・ちおん舎に遡るため、筆者にとっては新しく見る作品が多かった。大判の作品が増え、動物、とくに猛獣・猛禽のダイナミズムを表すにあたり狩野派の鳥獣画を紐解いている感覚があった。動物の捉え方は現代的(個人的に、屏風絵は斜めから見られることを想定して若干横広に描かれていたように思う)だが、筆致は上記のとおり過去を思わせ、不思議な魅力があった。

部屋に戻ったあと、これまでの疲労が祟ってひどい腓(こむら)返りを起こし、数時間ほど休もうに休めない休養を取った。ある程度落ち着いた後に跛行でスタッフ控え室に入ると、参加者から時宜好くインドメタシン配合冷湿布の差し入れがあり、ありがたく活用させてもらった。広報班翻訳チームのユウカさんを迎えに行って、思い切ってJMoFに来てくれたこと感謝した。

デザイン班と広報班翻訳チームに加入してくれたITSUKIさんと経歴や言語について談笑したあと、MEGAドン・キホーテ豊橋店のフードコートに行って夕食を共にした。あいにく現金の持ち合わせがなく、マクドナルドで電子決済できることを確認するまでに少し時間がかかったが、台湾スイーツの話などを交わして楽しく過ごした。途中、istさんが隣りのテーブルに来て、筆者が注文した特製つけ麺を横目に軽い夕食を摂っていた。

その後、「LGBTs TALK SHOW after dark」に参席。なるほど確かにafter darkな内容だったが、コミュニケーション下手な筆者に居場所はなかったように思う。

3日目

身支度を済ませ、フォーシーズンズで朝食を摂り、9時にスタッフ朝礼に参加。解散後に会場内をうろついていると、ある参加者に呼び止められた。

以前からケモノ趣味の活動に興味を持っていたものの、諸般の事情で今まで接点を作ってこなかったとのこと。JMoF 2023参加をきっかけに自身も活動をしていきたいと一念発起して来たが、やはり右も左も分からないので案内してくれないかとご要望。待ち合わせまで時間があることを確認して、これを快諾。これと言ってまだご自身の興味も定まっていないとのことで、それならば総合コンベンションならではのスケールを感じてもらえればと思い、「着ぐるみクリエイターコンテスト2023」にまずは足を運んだ。途中で観覧を切り上げ、先端技術の結晶であるVR世界を体験することのできる「VRラウンジ」に移動した。

筆者の案内が適切だったか自信はないが——VRラウンジで受付をしていたGentouさんや誰五味さんに後を任せて、自身はホリデイホールロビー付近に戻り、車で来たうるさんと駐車場で合流。当日参加登録を済ましてもらい、ディーラーリボンを渡す。荷物を持って「ディーラーズルーム」に設営に向かう。3年振りのディーラー参加、「Philosofur編集部」ブースの設営は30分以内に終わった。設営完了の告知をPhilosofur編集部のTwitterアカウントから発信した後しばらくして、ディーラーズルームが開室した。

Twitterの絵文字スタンプはやけに描写が細かい

今回のディーラーズルーム出展は確かな手応えがあった。予想を大幅に上回る来客だったのは、けもケットに較べて規模が小さく、出展物が多岐に亘ることも寄与しているように感じた。隣りのブースには小説サークルである獣文連が入っていたが、こちらも同等かそれ以上の人入りだった。海外からの参加者からも興味を示していただいたが、あまり平易ではない日本語の読み物から大意を汲み取るのはやはり難しいようだった。

近年、ケモノ同人誌の主流はコミックマーケットからけもケットに遷移したきらいがあるが、けもケットで読み物を出展するにあたり、ネームバリューや情報メディアへの露出などに期待を寄せなければならない孤独感が正直ある(その意味では、コミックマーケットにおける評論島の存続には価値があると言える)。JMoFのディーラーズルームではそうした孤独感はなく、売り子をしていてとても楽しかった。

うるさんが売り子に入っているあいだに、筆者も会場を見て回った。獣文連ブースでは岸間 夜行さんと挨拶を交わし、第1集を購入。壬生工房ブースでは壬生春成さんの備前焼の鏡に目が留まり、応援の意味を込めて狼の寝姿を描いた作品を購入(筆者はチキンだった)。四つ足カルテットブースでグッズを購入しようとしたところ、持ち金がほとんどないことに気が付き、SHIGEさんに頭を下げながら着ぐるみ用バンダナのみを購入した。財布を空にしたことをうるさんに伝えると、大阪ではこれを「螻蛄(おけら)になる」と言うと教えてもらった(※本義では「博打で負けて」というニュアンスが入るが、広く一般にも使うよう)。

夜、うるさんと筆者以外のPhilosofur編集部の部員3名——さとみさん、まんぐくん、ばけもさんを自室に集めた。会場運営の最前線で動いている3名には申し訳ないと思いつつ、うるさんが持ってきてくれたウサギ柄のウイスキーを先に開けて景気良く血流に回してしまった。結果として議論はできなかったが、編集部の結束を確認。『Philosofur 4』の刊行を10月初め(実際には9月末)目標とした。

4日目

目覚まし時計の助力を得て起床し、身支度を済ませ、同室のうるさんとフォーシーズンズで朝食を摂った。SELFOTOのファストパスをこの日の午前に入れていたため、9時のスタッフ朝礼に参加した後、広報班のリーダー業務の代行をサブリーダーのまんぐくんにお願いして、自室に戻った。

現行の着ぐるみユスタヴァは、JMoF 2014でデビューしてから9年が経つものの、換装の回数が少なく、室内で短時間の換装がほとんどだったこともあり、比較的状態は良好だった。ただ、酸化によるウレタンの経年劣化だけは避け難く、今回で3年ぶりの換装中にヘッドを破損してしまった。ただ、JMoF 2020の写真撮影では忘れていた上腕ベルト、脹脛ベルトの装着は忘れなかった。同室していたうるさんに換装の様子を見届けられつつ、参加証とネームタグを首から提げて部屋を後にした。

筆者が着ぐるみを着る目的は、着ぐるみを通じたコミュニケーション(グリーティング)ではなく、「鏡に映った自分の姿を見たい」から。一般客や参加者には申し訳ないが、脇目も振らずにホリデイホールCに向かった。運営ボランティアに自身が予約した時刻を伝えて、尾をもたげて椅子に座った。フォトグラファーのNoiseさんに呼び掛けられてスタジオに入り、いつものポージングをして撮影に臨んだ。いつも写真撮影のときに痛感させられながらも忘れてしまうのだが、「鏡にどう映るか」は入れ込まないと分からない。これが現状の目的とあまり合致しないのが悲しいかな。写真撮影が終わって部屋に引き上げる道中、こまこまさんに呼び止められて僥倖にも被写体にしていただいた。おそらくこれが今回のユスタヴァ換装の唯一の野良ショットであろう。

こまこまさん撮影

換装を解除し、ホリデイホールに戻って「GoH Talk Show」の聴講者に加わった。ほりもん(堀本達矢)先生が幼少期から抱いていたというケモノへの憧憬——それを真に具現化したはずだった作品で味わった「ケモノになれなかった」という挫折と、それに喝采を送ってカテゴライズしようとする観察者に対する不安を経験した結果、単色(白色)基調の「何者でもない」ケモノを具象化して、そこに観察者を配置する(=「会う」)アプローチを実践されたというお話は、筆者が高校時代に経験した挫折(人間中心主義的な世界観)と大学時代に実践したアプローチ(擬人化・擬獣化は人類普遍の営み)と重なる部分もあり、個人的に納得感があった。

たとえば『マウンティング』は、展示を観に来た観察者がケモノを「同意なく」撮影する暴力性や、この構図そのものを「一方的に」評価する暴力性を示唆しているという。これは、動物を畏怖したり慈愛したりするのはあくまで人間側に主導権があるという人間中心主義的な世界観に肉薄しているように思う。本質的には人間が好きなのかもしれない、これはエゴなのかもしれないと自覚しながらも、それでも動物ないしケモノが好きだと主張できる視座を持つことは、筆者にとって相変わらず至上命題の一つである。

しばらくして、「けもなーじゆうけんきゅう」に参席。JMoF 2022で初開催されたライトニングトーク(LT)会で、発表のハードルを下げるためにひじょうに限られた時間設定にしたり、発表内容には必要最低限の条件しか課さないようにしたりする工夫が為されていると聞いている。今回は登壇者が5名おり、フェイクファーの染色試験や「性癖」に関するアンケート調査報告など、ジャンルが一つも被らなかった。一部、国際法に抵触する結論はどうか……と思う瞬間もあったが、聴講者側もそういう雰囲気を了解して聴講していたことを願っている(それが真に大切なことである)。

部屋に戻ってしばらく休息し、自室からスタッフ控え室に移動しながらストリーミング配信で「パフォーマンスステージ「Back to the 90’s」」を途中から鑑賞。ステージ企画は生ものであり、スケジュールどおりにいかないことはままある。より実状に近いソーシャルメディア告知をするためには、その進行を注視する必要があった。続けて「ケモノストーリーコンテスト2023表彰式」、「Japan Furries Photo Competition 2023 Award Ceremony」、「JMoFイラストコンテスト2023表彰式」もライブ映像で視聴。「閉会式」の進行もリモートで見守り、勤続10年の第1期スタッフ4名(さとみさん、Zuilangさん、OTKさん、七輝さん)をねぎらうサプライズ企画を見届けた。

「デッドドッグパーティー」は筆者にとってnot for meな企画なので、割愛する。

5日目

身支度を済ませ、フォーシーズンズで朝食を摂り、9時にスタッフ朝礼に参加。撤収の様子を見に来てくれたガチマグロさんに昼食と帰路を共にしようと持ち掛け、快くご承諾いただいた。

スタッフ控え室(桃の間)、アーティストラウンジ(楓の間)、獣神画展(椛の間)の撤収を手伝ってから、11時ごろに無料シャトルバスに乗り込み、会場を後にした。豊橋駅に着いた後は豊橋駅ビル カルミアに向かい、ブランテーブル こすたりかで昼食を摂る。

手前のパスタと真ん中のピッツァには、豊橋特産のうずら玉子がトッピングされている

折を見て店を後にし、券売機で復路の乗車券と特急券とを買い、東海道新幹線に乗り込んだ。さすがにお互いに疲れが溜まっており、旅程のほとんどを寝て過ごした。夕方には東京駅に到着し、再会を願いながら解散した。

総括

初めて参加したJMoF 2014から、中学校を卒業できるほどの時間が経過した。筆者は2018年(JMoF 2019期)から、より正確にいえば2017年(JMoF 2018期)の秋ごろから広報班のリーダーを務めているが、無償の奉仕活動であるからこそ無限に頑張れてしまう性分のデメリットが、ここに来て顕在化しているように感じている。JMoFを陰で支えることに慣れ過ぎてしまって、本当はもう少し自分のことを大事にしてもよいのに、どうやればいいのか忘れている。

いえもんくんに襲われている図

そんな者にも分け隔てなく活力を与えてくれるのがファンコンベンションの空気だった。JMoF 2023は、筆者の悩みを消してくれたわけではないが、自分の一生をもっと豊かにしたいと再び決心するきっかけの一つとなってくれた。

実際には本業でも大きな変動があり、身の振りを考えざるを得ない時期に入っていることは自覚している。本年をぜひ稔り多き年にしていきたい。