2010年7月31日土曜日

私は「気付きたい」

・・・常々、ボクは「気付かない」。
 
一時間強の電車の乗車時や、講義中等々に於ける携帯電話の突然の着信音は、
周囲のヒトに迷惑を被ってしまう他に、ボク自身も其の対応に甚だ苦慮し、
赤面してしまうだろう、其の懼れが在るから、常時サイレントマナー(無声・無振動)モード。
 
然し、気付かない。大事な時に、その大事な事を発見出来ない自分が居る。
 
声に出して話す、自分の想いを文章に著す、伝えたい気持ちを音楽にする、
想い描いた情景を絵画にする、其の他諸々の、数多のコミュニケーションを愛している。
そして其の根幹に、ヒトが存在している事を海馬に記憶させてある。
 
然し、気付かない。大事な時に、その大事な物を発見出来ない自分が居る。
 
ヒトを傷付けてしまった事は、傷付けてしまった相手も然る事乍ら、
自分にとっても尋常ならざるショックだった。何度も経験している筈であるのにも関わらず、
一向に改善しないのは、矢張り努力が足りないからなのであろうか。
 
・・・此の文章を書かせるよう、ボクを駆り立てるもの達の、
要素の一つがボクの"不完全な完璧主義"であろう。
一つの失敗は懲役十年に値する、そんな気がして憚らない、得の無い主義・思想。
自分の琴線を劇烈に磨耗し、自分の心臓を殊更に緊縛する。
 
救い様の無い竜獣人(にんげん)とはボクの事だ・・・と、此の数ヶ月何度も悩み悶えた。
声に成らない叫びを如何しても書いて置きたかったから、「此れで締め」にしたくも思った。
 
だが、拙文の締めに書くべき事が一つある。
以上の文は、貴方の心の中に発生する可能性の有る"動揺"を、全く考慮していない。
 
だから重ねて書かねばならない、ボクが此の問題に真摯に向き合いたいという事を。
或る方の言葉を借りるが、"無自覚ってのが一番怖いし一番嫌"である。
 
私は「気付きたい」、世界の万象に、そして貴方の心象に。
相手を慮る気持ちは、此の身が骸と果てようとも忘れてはならない。
 
・・・嗚呼、ボクが誠心より真剣になると何時も、ボクの語彙がボクの想いを雲隠れにする。
アストライアの天秤は、ボクのテクストを如何御思いに為られるのであろうか。

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