2010年1月15日金曜日

えほんのせかい

いたばしボローニャこどもえほんかんから司書が御来校なさり、世界の絵本についての紹介を、講義の中で受けるという機会がありました。

未だに表面的な比較に多大な関心を寄せているという幼稚なボクではありますが本心からして、世界各国語で書かれた、其々の文化背景を窺い知る事が出来そうな絵本達を見て並々ならぬ興味を抱いた次第であります。

イランの出版社が、現代ペルシア語とイングランド語の二つのエディション(版)にて企画した絵本は、逆さ刷りを用いて、左右鏡像の二つの絵本を生み出しました。興味深い例はコレだけに止まらず、ある絵本が別の国で翻訳されて出版される際に、表紙絵と見開き絵が逆転していたり、全く違う表紙になっていたりする のです。タイトルが異なっている事も屡々あるようです。

サンテグジュペリ『星の王子さま』邦訳に於いて、「本質は不可視だ」という一文を「大切なものは目には見えない」と意訳をしたのが○○氏であります。此の訳に辿り着く迄に、何れだけの努力を為されたのかは分かりかねますが、相当なものであった事は明白でしょう。翻訳は、極めて難しい学芸行為の一つなのであります。

日本に於いて、薬は「飲む」ものでありましょう、中国では薬は「食べる」もの、であります。如何謂う事かというと、

私は薬を飲みます。
我口包薬(私は薬を食べます)。

上記の様に、同じ意味(薬を服用する)の文を形作る表現手法がそもそも異なっている為に、文の持つニュアンス自体が変化するのです。

此の表現手法の違いはやはり其々の文化に関連しています。薬というものを、日本では煎じて「飲」み、中国では漢方薬として「食」すのです。

また、薬に当たるイングランド語の単語はメディスン(medicine)ですが、当単語には「呪い(まじない)」という意味もあります。祈りによる治療を行っていた、其の当時の文化を、今に伝えているものの一つであると言っても過言ではないのではないのでしょうか。

多言語学習は自分達の持つ言語文化が必ず比較対照として浮かび上がり、その姿を更に鮮明なものとします。

◇ ◆ ◇

老練のある教授はマイクを突然向けられて何も発言する事の出来なかったボクに一言言って下さりました。自分達教授は、自分の思考を叙述する事を常日頃行っているのだから-。経験を積み重ねてゆく大切さを再認識した事もまたよい収穫となりましたね。

[ 2010 / 01 / 17 更新 ]

0 件のコメント:

コメントを投稿