2010年1月22日金曜日

ドラゴンのはなし

当日記に於ける日付は飾りでしかなくこうして未来に日記を付ける事を躊躇うつもりは微塵もありません。

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ボクは ドラゴン好きの一竜(ひとり)であります。然し、物心が付く前からではありません。ある地域では諸悪の権化でありまたある地域では神の御姿、ある地域では 鱗虫の長でありまたある地域では万物の創造者と、多様性を持って他の一言では説明する事の不可能な生物であるから好きなのですが、此の事を説明出来るよう になったのはほんの数年前の事に過ぎません。勿論コレ以前より、ドラゴンに対して尋常ならざる興味を抱いておりましたが、その動機は、極めて浅はかなもの であったことでありましょう。

さて、各地の伝説が大衆化されて資本主義に於ける商品へと付加価値としての性格を持つ現在のドラゴン、その オーソドックスな形は、鳥脚類を思わせる肉食恐竜様の体躯に、更に一対の翼を具えて、全身を鱗で覆った上に、やや前方向きのこめかみより何対かの角を生や した、そんなイメージがありますね。

然し、時を遡って昔のドラゴン達に会いに行くと、極めて原生生物的大きさに留められ、ある意味で惨めでまたある意味で活発な姿を目にする事が出来ます。

グルジアのイングランド語名ジョージアをラテン語風に読むとゲオルギアとなりますね。そう、聖ゲオルギウスの国という名の国なのです。聖ゲオルギウスにはドラゴン退治の逸話、即ち竜の奇跡と呼ばれているエピソードがあります。

此の様な伝説から、ヨーロッパ中に聖ゲオルギウスをパトロン(守護聖人)とする都市が彼方此方にあります。また、絵画の題材としてもよく使われました。

グ ルジアの市章(コート・オヴ・アームズ)には馬にまたがり、長槍をドラゴンに突き刺している聖ゲオルギウスが描かれているのです。コレはロシアのモスクワ や、クロアティアのシェントユル・プリ・ツェリュも同様です。ヨーロッパの画壇ではラファエロ・サンティやギュスターヴ・モロー、パオロ・ウッチェロ等が 此の題材での絵を残しています。さて、此等のドラゴンにはそれぞれ、その描き手のイメージするドラゴン像で描かれる訳ですが、その様態は様々です。ドラゴ ン像については特に決まった姿がなかった、と結論づけるのは乱暴ではありますが、少なくとも足の数は共通項ではありませんでした。

キリスト教世界という、極めて戒律的な所に限定をしても、ドラゴンはその多様性と可能性を保ち、切り捨て役を演ずれども、逞しく大空を飛翔していた、そう考える事もまた良いのではないでしょうか。

[ 2010 / 01 / 17 更新 ]

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